こんにちは!

 

 

 

なぎさです!

 

 

 

前回のお話はこちら↓

 

私は結婚してしばらくして長男を授かりました。

長男がお腹にいるときは、太らないように、体力が付くようにと

毎朝2㎞のウオーキングをしていました。

 

 

けれど、母が帝王切開で私を生んだように、

私も急遽、帝王切開で子供を産むことになりました。

 

 

手術の後、ぼんやりと目を開けた私の前に

夫が長男を抱いて見せながら、

「よう頑張ったな!」

と言ってくれました。

 

 

一週間の入院の後

私は家に帰りました。

 

 

初めての赤ちゃんを抱えて家に帰り、

今までと変わらないリビングに立った私は

一週間前とは変わってしまった自分の現実に

急に不安になり、

涙が出てきてしまいました。

 

 

その日は離れたところに住む妹が付き添ってくれていて

泣いている私を見て

「大丈夫やん、ほら、お母さんしっかりして」

と慰めてくれましたが

 

 

私の腕の中で眠っている

その息子の重みと、

刻々と変わっていくその表情や

息づかいに

私は一人でこれからどうやってこの命を育てていくのか、

という不安に襲われていました。

 

 

 

妹は子供のお世話をしなければならない為

その日すぐに家に帰り、

自分の家族があって忙しいため、その日以来

何年も会うことはありませんでした。

 

 

そして、

私と夫との子育てが始まりました。

夜中の授乳で眠れない私のために

夫は家事をよく手伝ってくれました。

 

 

 

その頃東京で働いていた父に

電話をしましたが、

義理の母が出て、父の声を聞くことはありませんでした。

 

 

 

初めての私の子供

父の血を分けた孫

子供を産んだその瞬間から

本能とでもいうように

私の生んだ子供をすぐにでも父に見てほしい気持ち。

 

 

 

でも、

その後も父は会いに来ることはもちろん

電話さえしてきませんでした。

 

 

 

それでも、それまでの父との関係から

私は連絡のない父に、つらいのにつらいともいう事がはばかられ、

ただ一度横浜に住む父に

新幹線に乗って息子を見せに行ったのですが

 

 

 

それから何年たっても

下の子が生まれても

父は会いに来ることはなく

子供が生まれた時、

五月の男の子の節句の時に

五月人形を送ってくるだけでした。

 

 

 

「子供が小さいうちに会いに来てやって!」

という私の思いは叶わず

 

 

 

ただ一度関西に用事があるから、と

近くに来て駅で食事をした時も

初めて会うおじいちゃんに

大はしゃぎで喜ぶ2歳の次男を抱くことなく

食事を摂ると、そそくさと家に帰っていきました。

 

 

あの時次男が、

はしゃいでいた子供らしい動きを止めて

「えっ!!!」

なんで?

とでも言いたげにキョトンとして、笑顔が消え

動きが止まった姿が忘れられません。

 

 

 

 

今これを書いていて、

結婚式の時も

二次会が終わって

ホテルを用意していた私たちに

「今日は帰るわ!」

と仲人さんや集まってくれた人を置いて

すぐに席を立った父だったことを思い出しました。

 

 

 

大切な私の命の瞬間、

私の子供

私の気持ちは

こともなげに置き去りにされたままでした。