「幸せ」と聞くと、素晴らしいこと、よきことと、漠然と受け止めてしまいますね。
その「幸せ」がどんなものかもわからないのに、「よかったですね」と一緒に喜んだり、「そうですか」と他人事に受け流そうとしたり、「何で私じゃなくてあなたが?!」と憤りを感じる場合もあるのかもしれませんが……
ここで一緒に喜べる人が、実は幸せになれる人でもあると思います。
幸せの気に触れることで、幸せの影響を受けて、幸せに思える出来事に近付くことになるからです。
ところで、表題の件です。
先日、定期的に面会しているご高齢の方から言われました。
「私は幸せだわ」と。
「こうして、いつも来てもらえて、美味しいものを食べられるのは幸せだわ。私は幸せね」と言われ、「ほんとですか? 嬉しいです。私もそれを聞いて幸せです」とお答えしました。
お互いの存在が相手の幸せのタネになっているなんて、それはステキなことですよね。
特別に何かをしたわけでもなく、有り難いと思わせる特別な会話をしたわけでもなく、ただ定期的に会ってお茶をしているだけ。
それでも幸せが生まれてしまう。
占い師として現場に出ていたときに、「幸せになりたいです」「私は幸せになれますか」と言われた際に、「あなたにとっての幸せって何ですか?」と問いかけていましたが、そもそも目指して得るものではないのが幸せなのかもしれません。
気づいたらそう感じているだけのもの。
それが幸せなのでしょうね。
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まことしやかに言われていることをそのまま受け入れているだけでは、自分にとっての真理を得ることはありません。
改めて考えてみることで見えてくるものがあります。
サムネの画像は、幸せ風味満載のデイ・ドリームタロット
箱の上にある夜空の虹でした