選択肢があって選べるというと、贅沢で恵まれていると思われることが多いものです。
ところが、その選択肢がどうしようもないものばかりであれば、どれを選んだところで嬉しくもなく、選り取り見取りとは思えません。
選択肢は魅力的なものばかりでも、どうしようもないものばかりでも困ります。
ところで、「親ガチャ」という言葉が普通に使われるくらいに、親の当たり外れがあるという風潮のこの頃ですが、本当に親ガチャで自分は生まれたのでしょうか?
子は親を選んで生まれてくるという説もあり、その場合は親ガチャにはならず、親からした「子ガチャ」になるのかもしれません。
仮に、誰もが親を選んでこの世に生まれてくるとしたら、自分はどういう理由で両親を選んだのかを考えてみました。
先に述べたように、恵まれすぎた条件でも、恵まれない条件でも、いずれにしても迷うでしょう。
「どんな条件の親でも、あなたの好きに選んでいいのですよ」と、あらゆる条件の中からの選り取り見取りであったとします。
そして、「あなたは3日後に生まれますから、3日以内に決めてください」という期限があったらどうでしょうか。
期限は一週間でも、一ヶ月でも、一年でもいいでしょう。
どんな期限であったとしても、きっと真面目にすごく悩んで考えて親を選ぼうとすると思います。
この人ならこうなってこう。
あの人ならこうだから、きっとああなる。
そんなことをシミュレーションしているうちにだんだんとイヤになってきて……
「もういいです。誰の元に生まれても構いませんので、適当にお願いします!」
そう言って生まれてきたのが今の私なのだろうなと。
選べる状況にあったとしても、最後に決めるのは自分。
つまり、決めないことを決めるのも自分です。
という生まれ方で今があるとしたら、個人的にはすごく納得できます。
そのことを肝に銘じて今世を終え、万が一、生まれ変わるとしたら、その際の教訓にしたいと思いました。笑
「親選び」でたとえてみましたが、選べるという身分は贅沢でもあるけれど、面倒でもあり、選んだ結果に喜べない未来が待っていたら、後悔してしまうかもしれません。
選ぼうが、選ばなかろうが、その結果としての道を進んでしまうのが自分です。
ガチャ的に捉えるとしても、それを選んだのが自分となれば、ガチャの結果も自分の進んだ道に出てきたものなのです。
このように、物事を考えることから生まれたのがこちらの本です。
開いたページで考えるという、新しいタロット本。
ぜひ、チェックされてみてください