何かを呪って1年が過ぎたということではなく、拙著『「呪術」取り扱い説明書』(辰巳出版)が発売されてから丸1年が経過したという意味のタイトルです
呪い一周年ということで、過去記事を抜粋し、呪い関係の記事を再掲していこうと思います。
ところで、呪いができるようになると、魔法をかけるように仕返しができて便利と思われる方がいらっしゃるようですね。
ちょっと頭にきたから、プチ呪いをして、気分をすっきりしたいと考えてのことと思いますが、それはおすすめできません。
もしも、自分がそんな便利な体質になっていたとしたら、通りすがりでたまたま肩や荷物がぶつかった相手のことを自然と呪えるようになり、無自覚のままに仕返しをして、自らも、その代償をどこかで払うことになるからです。
また、自分のミスで、人から注意されたり、咎められたことを根に持ち、相手を呪ってしまったら、もう、いろいろと本末転倒な話になるでしょう。
拙著の扉ページにある、『人を呪わば穴二つ』は、そのことを警告した一文です。
代償なくして呪いを叶えようという、虫のいい話はないと思っていて間違いないでしょう。
物事は、自然の営みの上に成り立つものです。
呪いの専門家ではありませんが、自然の営みの中で生きる生身の人間である限り、呪いをすれば、何かしらのリターンがあり、その対価を支払うことになることだけは、漠然と理解できます。
だから覚悟が必要で、ちょっとムカついたから呪おうというのは、リスクが大きすぎます。
もしも仕返しをしたいと思うなら、普通に物理的に戦うことが健全といえるかもしれません。
その場合でも、何かしらのリターンを被ることにはなりますが、少なくとも、見えない力による、得体の知れないリスクを負うよりはマシと考えられるからです。
呪いは、大いなる力に頼って願いを叶えるもの。
力を信じなければ成り立たず、信じた力だからこそ、そこから代償を取られることで成り立つものなのです。
ということで、呪いはもちろん、物理的な仕返しもせず、見返してやろうというくらいがちょうどいいのではと思います
負の力は大きなエネルギーを生みます。
だからこそ、それを建設的な方向に活かすことができたら、とてつもない馬鹿力を発揮して、それこそ奇跡を起こせるかもしれません
自分の中に生まれた自然の力を、どう活かしていくかが重要なのです。