がんばることはいいことで、がんばらないのはよくないこと。
これは一般的な考え方ですよね。
でも、「がんばります!」と宣言したり、「こんなにがんばりました!」とアピールするのはどうでしょうか。
自分自身のことで「がんばりました!」はOKでも、人のために「がんばりました!」は恩着せがましくなってしまうこともあります。
がんばると宣言したほうができるという人もいるでしょう。
がんばりをアピールしないと、正当な評価を得られないこともあるかもしれませんよね。
個人的には、がんばるのは当り前で、わざわざ口にすることではなく、黙ってがんばればいいと思っています。
その人ががんばろうと、がんばらなかろうと、一緒になにかをしているときでない限り、まったく関係のないことです。
また、がんばらなくても出来てしまう人と、がんばっても出来ない人がいるのも事実で、その場合、がんばりをアピールすることは、自分で自分を出来ない人認定し、そこをアピールしているようにも思えてしまいます。
がんばるのは当然で、その度合いは、そのときによるものでしょう。
いずれにしても、がんばっている様子もなく、涼しげに大業を成し遂げている方がかっこよくないですか?
必死になるのは、命の危機に直面したときだけで十分です。
密かにがんばり続けながら、平然としていたい。
そういうスマートさが好みで理想です。
反対に、「私はダメな人間だから、人よりも必死になってがんばらなくてはいけない」と思い込んでがんばることも、問題なのではと。
なぜなら、思ったように成し遂げられない日々が続くと、どんどんストレスが膨らみ、ダメな自分に対し、さらなるダメ出しをしてしまうかもしれません。
でも、はじめにお伝えしたように、がんばらなくてもできてしまう人もいます。
がんばってもなかなかうまくいかない場合は、単に向いていない可能性もありますよね。
自分が頑張って叶えられないことを、がんばらずに叶えてしまえる人がいても、別のことでは、立場が反転する場合もあるはずです。
ないものねだりをしても仕方がないので、誰かを目指すのはやめた方がいいでしょう。
むしろ、こうなりたいという理想を追うことにして、できる範疇で地道に進む方が健全です。
こうした問題を考えてみても、がんばりをアピールしたり、あなたもがんばらないといけないよなどと、口にするのはどうかと思えてきます。
がんばっているように見えないだけでがんばっているかもしれませんし、がんばっているように見せているだけで何もしていない人もいるでしょう。
自分の中でベストを尽くしたかどうかが大切なだけで、人からがんばりを評価されたり、がんばりをアピールする必要はまったくないのです。
ということからも、がんばっているのかどうかがわからない程度を保ちながら、ベストを尽くし、必死感を出さずにいた方がステキでしょう。
必死感が見えてしまうところまでがんばってしまうと、心身ともにキャパシティーをオーバーし、倒れてしまうかもしれません。
多少はきつくても、それを周囲に見破られない程度までがんばってみることを、休みながら繰り返していけば、スマートに理想を実現のではないでしょうか。


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