昔ながらの暮らしを営む原住民の方々には、必ず、「長老」と呼ばれる凄い存在がいますよね。TVの特番などで見たことしかありませんが、その集落や村の人々の誰もが知っていて、特別な人として認識し、尊敬している人物です。
私たち日本人にとっての「長老」って誰なのか? ふと考えてみました。日本人にとってというよりも、ほとんどの国には「長老」はいないのが現状なのではという結論に。
「長老」に外せない条件は年長者でしょう。高齢化社会まっしぐらの日本なら、長老国家、長老大国、という別称が生まれてもいいくらいです。けれど残念なことに、誰もがその存在を知り、敬う長老はいません。なぜでしょう? それは、医療が進んでしまったからです。個人的な結論なのですけれど。
「長老」は、奇跡の人でもあります。昔ながらの生活をしていると、薬も植物から採取したものが基本で、治療のほとんどは自然治癒に任せたもののはず。ですから、長年生きながらえることが奇跡であり、そんな偉業を成し遂げた賢人が「長老」になる。長年命を紡いできた人の知恵を授かりたいとい願いが、「長老」を生むのではないでしょうか。
生きることが当り前で、病気をしても手術をしたり、本当なら死んでもおかしくはない人が延命できる現代では、ホンモノの「長老」がいたとしても、誰も気づくことができません。
「長老」という存在は、どの時代にも、どの国にも必要な人なのではと思いました。
私たち日本人にとっての「長老」って誰なのか? ふと考えてみました。日本人にとってというよりも、ほとんどの国には「長老」はいないのが現状なのではという結論に。
「長老」に外せない条件は年長者でしょう。高齢化社会まっしぐらの日本なら、長老国家、長老大国、という別称が生まれてもいいくらいです。けれど残念なことに、誰もがその存在を知り、敬う長老はいません。なぜでしょう? それは、医療が進んでしまったからです。個人的な結論なのですけれど。
「長老」は、奇跡の人でもあります。昔ながらの生活をしていると、薬も植物から採取したものが基本で、治療のほとんどは自然治癒に任せたもののはず。ですから、長年生きながらえることが奇跡であり、そんな偉業を成し遂げた賢人が「長老」になる。長年命を紡いできた人の知恵を授かりたいとい願いが、「長老」を生むのではないでしょうか。
生きることが当り前で、病気をしても手術をしたり、本当なら死んでもおかしくはない人が延命できる現代では、ホンモノの「長老」がいたとしても、誰も気づくことができません。
「長老」という存在は、どの時代にも、どの国にも必要な人なのではと思いました。