声は消えても 心の底にきいた言葉が生きのこる
強く打てば大きく響き、弱く打てば小さくひびく
した事、言うた事、思った事
よいも悪いも、ことごとく皆、何者かに影響して、永遠にあとを残す。
慎むべきは、その思い、その行い、その言葉、恐るべきは、その影響、この反発である。
おみくじの裏側に書いてあった言葉・・・
私にはとても響きました。
後押しもされましたし
襟も正された言葉でした。
今の世の中にたくさん溢れている
占い
鑑定
スピリチュアル
お役目
見える力
聞こえる力
感じる力
これらで自分のことや未来のことを
見てもらった経験ありますか?
その時にもらった言葉は貴方に
どんな影を落としましたか?
どんな光を落としましたか?
事あるたびに引っ張り出して思い出しているのなら
それは後を残されてると言う事
言葉は後を残す。
いいも悪いも
後を残します。
見えないものが見える
聞こえない声が聞こえる
普通見えないから神様の声?
普通聞こえないから上からの声?
何故そう思うのですか?
実は地の底の声かもしれない・・・
と考えたことはありませんか?
物理的に見えない事、聞こえない事に心を奪われないで下さい。
「見えない、聞こえない」は
誰しも不安にもなりますし
見えてる、聞こえてる人の言葉は
とても魅力的にも思えるとおもいます。
ですが、
誰にも神様はいるんです。
我にあるのです。
私の昔のお友達が
阿弥陀如来が付いてるよと言われたそうで
それを嬉しそうに言ってました。
でも私には幸せそうには見えませんでした。
友人は、
その言葉に甘えてしまい
自分の事を信じる事なく
その言葉だけに甘え
その言葉だけに囚われてしまったのです。
本当は、誰にでもいます。
自分が特別なわけではなく
見える人や聞こえる人が特別なわけでもなく
誰にだってあなたを守る神様がいます。
「我のなかに」
「我にある」
のです。
それに気がつくだけでいいのです。
そうすれば言葉に一喜一憂することもなく
上手に付き合い、自分で生きていけるのです。
あの言葉に喜び
この言葉に落ち込み
誰かの言葉に囚われることがなくなります。
そして、言葉を使う人、言葉を発信する人、
伝える人は、無でなければいけないと改めて思いました。
無でないと本当の意味で
内なる声は自らの耳や心に届かないし
相手にお伝えするときも
偏った目で見、偏った言葉で発してしまう事になる。
だからこそ無でなければならない
声は消えても
心の底にきいた言葉が生きのこり
影響を与えるのです。
私は
何も見えません
何も聞こえません
お伝えしている言葉は、私の言葉です。
私の中から湧いた言葉だけです。
そして
伝えられる人は、受け取る側は
判断してください。
本当に必要か?必要でないか?
全てを受け入れてしまうのではなく
判断する力を養うこと。
一度取り入れた言葉であっても
それを持ち続けるのかどうか?
今一度しっかりと内なる声に従って
考えてみて欲しい。
あなたの中にいる・・・
我のなかに
我にあり