なんど、彼の言葉に助けられたか

わからない。



生で一度会えたら

お礼がいいたいなぁとか



彼のチームの一員になって

近くではたらいてみたいなぁ


と思う人がいます。



それは、

糸井重里さん。



彼の発する言葉からは

優しくてあったかな世界を感じる。



ほぼ日刊イトイ新聞の

今日のダーリンもお気に入りの記事は

スマホにコピペ保存してたり。



そんな、ほぼ日にあった


言葉が気になったので

ここに書き留めておこうかと。



ひっきりなしに

やることがある幻想。




「いまの時代を生きている人たちは、

ある時代までの昔の人よりも

疲れているんじゃないですか。」



その問いに対して答えていたのが


ひっきりなしに

やることがある幻想に

ずっと追い立てられて

いるからではないか、だった。



私も前はそうだったなぁと思い出す。

“なにもしていない時間”がなかった。



何かをしていることが

良いと思ってたし



時間を無駄にしてない=

人生を無駄にしてない


って思ってた。



でもその一方で頭は休む時がなく、

しまいには体も心も疲れ、


休みの時の楽しみは


温泉やスパにいく、

森林浴しに山へいく、

美味しいものたべて飲んで

ストレス発散する、あたりだった。



休みは、疲れを取る、

”癒し”に当てられていた。



今でこそ、

ダンスをほぼ毎日やってるけど

その頃はそんな体力なんてなく、

やろうとも思ってなかった。



でも、オランダに来て

何もしない時間を

徐々に楽しめるようになった。



何かしていなきゃもったいない

の幻想から

離れることができた。



外国へ来たこと、

言葉がわからないこと、

友達や家族からも

離れてひとりになったこと、



知らなくてもいいことや

自分には必要ではない情報から

離れたことや



自分と向き合う時間が増えたことが

良かったのだと思う。



日本にいたら、

中吊りや、看板、CM、ネット、

周りの人の会話など



いろんなところから簡単に

情報が入ってきてしまう。



特に広告は、

不足しているニーズに対して

メリットをうたうという型だから、



前提は、

“自分には何かが欠けている”



そんな前提を知らぬうちに

たくさん浴びてしまっていたのだろう。



そんな前提でいると、



本当は幸せなのに、

幸せをあまり感じられないし、


外に正解があると思ってしまうし、

常に頑張らなきゃと思ってしまうし、


その終わりなき、”頑張らなきゃ”で疲れ、

自分が置き去りになってしまう。




昔の自分は

こんな風に疲れていったんだと思う。




だからもし、

その幻想から離れたければ



ぼーっとしてる時間を持ってみる

何もしない時間を予定にいれてみる

ネットお休みの日を作る

スマホの電源切ってみる

好きなだけ寝る!



この辺からやってみるのは

いかがでしょうか。




最初は、

そわそわして落ち着かず、難しいかも。



でもそのうちに少しずつ

その時間が増えても

安心していられるようになるし



そして、

何かに追い立てられることが

減ってきます。



にゃんこと暮らすのもいいよねウインク




※※※※※※




そして、そんな糸井重里さんと、

中田あっちゃんの対談が公開に!



これは、食い入るように

みてしまいました。


もう、最高すぎる内容!!



糸井さんの話を聞くと

歳を重ねることも面白いなぁ

全然大丈夫じゃんと思えます。


糸井さんのような

大人になりたいです。