「さすが、人生100年時代!」と思うことが続いています。
高齢の方のお話はもちろんですが、それよりずっと年下の50代の方々(特に女性)が、自分の生き方を見直し、これからも続く自分の人生のために、何かしらのアクションを起こした、または起こそうとしている、という話をよく聞くのです。
身近な人の死だったり、あるいは仕事の契約終了だったり、親の病気だったり、きっかけはさまざまでも、その行動はとても大きなものです。
60歳でリタイアしても、その後も人生は思うよりずっと長い……。
そんな風に、多くの人が肌で感じ始めているのかもしれません。
退職、離婚、自宅の売却、起業、廃業、移住……。
彼女たちが起こしたアクションがどのような内容だったとしても、私はいつもその決断に大きく心を揺さぶられ、心から「すごい!」と口走ってしまいます。
だって、本当にすごいと思うから……。
どんなに大きなことでも、また小さなことでも、その人が「こう決めた」、それに至るまでどれほどの迷いや悩みや苦しみがあったのだろうと、容易に想像できるから……。
つまるところ、その人が「決めた」ということ自体に、他人なのに大いに感動してしまうのです。
だから正直なところ、その決断について、世の中の「こうあるべき」に照らし合わせて、間違っているなどと平気でジャッジできる人を見ると、う〜ん、と思ってしまいます。
なぜ、そんなに簡単に「それは間違っている」と言えるんだろう?と……。
「いやいや、失敗するかもしれないよ?」
「まだまだ迷っているけど、とりあえず始めてみるね……」
「周囲からは馬鹿だとか言われているけどね(笑)」
すごい!と言う私に対して、彼女たちは、若い頃のような希望に満ちあふれたワクワクを前面に出すのではなく、ちょっと照れたように、あるいは謙遜して、こんな風に言います。
でも、私は思うのです。
人生も後半戦に入ると、若い時の失敗のように「いい経験だったね」とか「いい勉強をしたね」と言われておしまい、などというような甘っちょろい結末にはならない。
もしもその決断が失敗だったとしても、その落とし前を必ずつけなければならなくなる————。
というか、「落とし前をつける」までが、人生後半戦に入った世代のアクションでしょう(笑)。
誰かが後始末をしてくれるだろうとばかりに、放り投げて終わり、にはできない。
その世代であれば、落とし前をつけるために相談するなり、手を貸してもらうなりする時に、お願いしたり謝ったりと、正直あまり「したくないこと」も自然にできるようになっているはずです。
もうちょっと言えば、この世代になっても“落とし前をつけられない”生き方をしている人は、ちょっと心配ですよね。
何も立派な人と知り合いだとか、人脈がすごいことが大事と言っているわけではなく……。
してもらったことに心からの感謝をしたり、目の前の人に誠実に接したり……と、そんな小さなことが積み重ねられて、人生後半戦を迎えた“私自身”はできあがっているのではないでしょうか。
始めるにしても、やめるにしても、何かを「決めた」ということは、そこから必ず新しいことがスタートします。
だから、「決めた」人は、自分のこれまでにOKを出し、そして自分のこれからにもそれを元に「たぶんいける」とか「なんとかなるでしょ」と、無意識にでもOKを出している。
何かを決断し、一見生き方を変えたように見えていても、でも、自分の根本の生き方にはYES!と言っている明るいエネルギーを感じます。
うん、とっても素敵です!
私が口走ってしまう「すごい!」は、そんなところにも理由があると思っています。