一昨日は地元の友達、昨夜は岡山時代の知り合いで広島出張中のマイミク・あとらんさんと飲んでました。

地元飲みはフルメンバーじゃないので早めに終わったんですが、昨夜は朝3時前まで(笑)。
体調が完全に回復するのに午後2時ごろまでかかりました。

何か最近、昔なら大丈夫だった酒量でも二日酔いになるんです。
昨夜もビール4杯にウォッカギムレット1杯だから、平均的な酒量のはずなんですけどねぇ。三十路に入るとこんなものでしょうか。

もうひとつ。
最近、車窓に写る自分の顔を見て、何だか老けたなあって感じるんです。
自宅の鏡ではそこまで感じないのに。

一方、初対面の他部署の人たちと飲んだときに年齢を言ったら、「そんな年に見えない」と、もの凄い勢いで驚かれました。
こういう反応がなくならない限りは、まだまだ大丈夫かなとも思うこの頃。

そんなこんなで、ただいま帰京途中。
確実に座るがために、新大阪で乗り換えしちゃいます。
今朝、時事通信速報のメール着信音で目を覚ましたんですが、内容を見てびっくり。
一瞬、東海地震がついにきたかと思いました。

幸い新幹線に被害はなく、一部が崩壊した高速道路も2日で復旧するそうなので、帰京できなくなるという事態は避けられました。
一部徐行運転による遅れも微々たるようなので、飛行機に振り替える必要もなさそうです。

現住所の東京・江戸川区は震度3。
日曜日の地震でも震度3でした。

両方とも初報が「東京23区・震度4」だったので、ギターが倒れていないか、すごく心配しました。
震度5弱だった芸予地震でも無事だったので、3ならさすがに大丈夫でしょうけどね。

しかし、西日本に比べ、東側は地震が多いですね。
事実、東海地震はいつ起きてもおかしくないと言われているし、非常食とか多少の備えはしとかにゃならんかなと感じた、今日一日でした。
大学の後輩で同じ高校出身でもある子と会ってきました。

後輩とはいっても、まともに絡んでたのは大学3年の4月ぐらい(向こうは当時1年)なので、それ以降キャンパスで見かけたことはあったのですが、実質約8年半ぶりの再会です。
何というか、ミクシィでの付き合いは3年近くあってそっちのほうが長いという(笑)。

でも、共通のバックグラウンドがあるし、共通の知っている人もいるので、いろいろな話で盛り上がりました。
接点といえる部分は実は少ないんだけど話は分かり合える、みたいな。

大学が同じ人というのは、卒業後も数人いたのですが、高校が同じ人というのは、社会人になってからは皆無。
高校トークができたのは面白かったですね。

そのほかにも、会うにあたっていろいろと当時の記憶を思い起こしていたので、この数日はなんだか懐かしい気分に浸ることができました。
この子の関係での思い出というのは、しばらくフタをされていたものだったので、なおさら良かったです。

旧知の人と会うというのは素敵なことですよね。
転職して大型連休をきちんと休めるようになって時間が作れるから、積極的に動いてみたいなと感じた一日でした。
何と、ウチの社員から新型インフル感染者が出たとの連絡がありました。
すでに報道されなくなりましたが、ようやくわが社にも上陸してしまいました。

重症例はほとんどないし、GWごろみたいに隔離入院とかではなくなったんで、いっそ感染してしまってもネタ的にありかな・・・なんて(笑)。
休み中に発症→回復を終えちゃうともったいないから、なるべく盆明け以降のほうが良いのですが。

しかし、帰京後だと一人で病気に苦しまないといけないという問題も。

やはり、健康が一番ですね(笑)。
感染していないことを願うのみです。
8月9日は長崎に原爆が投下された日です。

http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0208/genbaku/index.html
これは、↑の記事を偶然読んで今日初めて知った話なのですが、長崎では「原爆は長崎ではなく浦上に落ちた」という声も聞かれるそうです。

長崎の爆心地は、中心部から約3キロ北の浦上地区。「隠れキリシタンの里」として知られ、キリスト教徒の多い土地です。

江戸時代のキリスト教禁止令から続く歴史的背景から、長崎では戦争当時、これら“異教徒”への差別意識が根強く残っていたそうです。
そして、浦上地区と市内中心部は山で隔てられていたため、原爆で約7万人が犠牲になったものの、中心部での被害は軽微なものだったのだそうです。

そして、この両面があいまって長崎では広島に比べ、反原爆の動きが全市的な盛り上がりを欠いてきたのだとか。

広島では原爆ドームが永久保存されるのをはじめ、福屋とかアンデルセンとか中心部に大きな被爆建物がいくつか残っています。範囲を広げるともっと残っています。

一方、一昨年に実際に歩いても感じましたが、長崎には視覚的に訴えるような建物はあまり残っていません。
平和記念像も上の記事を読む限りでは、心から平和を願って創られたという印象は得られません。

原爆被害の悲惨さというのは平和学習で学ぶ機会が多いので、広島、長崎で育った人には認識はあると思います。
だからこそ、ああいう広島と長崎の意識の違いだとか、長崎の中での意識の違いみたいなものにも焦点を充てた平和学習があってもいいのかなと感じました。それが長崎での一体感を醸造することに繋がるとも思いますし。

珍しく6日、9日と続けて固い話題を書いてしまいましたが、広島で育ったからこそこういうことに関心を持っており、また持てるだけの知識を学ばせてもらってるわけですから。
知識や意識の程度の差はあっても、あの日の記憶を受け継ぐ使命というものを、広島や長崎の人は持っているのだと感じます。