極論でいえば、
なぜ今のような世の中なのか。
何が変われば向上するのか。

その理由。のひとつ。
高原理紗編。





本物の愛の定義は学校では習わない。

若い頃認識しがちな愛の定義。
愛は制限すること、
愛は唯物的であること、
愛されたい、
独占したい、、、

間違ってはいない。
でも正解でもない。


真実を教えてくれる人もいなかったし、
学ぶ環境もなかった。

道徳の授業にも出てこない。


これは教師が悪いわけでも、
親が悪いわけでも、
まわりの大人が悪いわけでもない。

もちろん本人が悪いわけでもない。

だれもわるくなんかない。
いいわるいの次元の問題ではない。

もうひとつうえの、
もうひとあしさきの、
とてもきほんてきなもんだい。

知ってる人と知らない人が、
まだバランス偏っている。

その理由は世界全てを偏らせている。
小さな歪が大きなうねりになっている。

その理由。

時代が支配的だったから。

そしてただ、
愛を共有する方法が非常に少なかったから。

愛に気づいた人が、多くの人に、
愛を伝承する方法が非常に少なかったから。

仕方がないと、諦めていたから。
支配されているのも知らず、
あるいは支配下から逃れられず。


使命感だけでやる仕事は、
本物の愛から遠ざかる。


だから、
そこの仮住まいからたまには出て、


自分を職場にして、

愛の仕事をしよう。



それがこの時代の、

大人の天職。

転職先は、自分、地球、宇宙。







見栄で選んだ職種や肩書きは、

異性を落とす手段でよい(笑)。