政府は国民にいっさいはからずに憲法を制定した。その中心となった伊藤博文は,1882(明治15)年,憲法調査のためにヨーロッパに留学して,ドイツのグナイストやオーストリアのシュタインらから君主権の強いドイツ流の憲法を学び,帰国後,井上毅・伊東巳代治・金子堅太郎らと政府顧問のロエスレルの援助も得ながら草案を作成した。草案は1888年に枢密院⑦で審議され,翌1889年2月11日に天皇の定める憲法(欽定憲法)として公布された(大日本帝国憲法・明治憲法)⑧。
憲法では,天皇は統治権の総攬者となり,官制の制定,文武官僚の任免,宣戦・講和や条約締結などの外交権,緊急勅令制定⑨,陸海軍の指揮権(統帥権),など大きな権限(天皇大権)をもった。ただし,天皇はその権限を内閣や軍令機関の補佐のもとに行使するとされており,実際に政務や軍務にあたるのは内閣,軍令機関などの国家機関⑩であった。内閣の各大臣は天皇により個別に任命され,議会ではなく天皇に責任を負うものとされた。また議会は制限選挙ながら国民が選挙した議員よりなる衆議院と,皇族・華族および勅任の議員からなる貴族院の二院制をとった。衆議院は予算先議権をもったが,それ以外の点では,貴族院と対等の権限しか認められなかった。議会には予算制定権と立法権が与えられたが,議会が予算案を否決しても,政府が前年度予算を実施できる(前年度予算執行権)など,制限が加えられていた。また国民は天皇の臣民とされ,所有権の不可侵や信教の自由,言論・出版・集会,結社の自由などの人権は認められたが,法律の範囲内という制限も加えられていた。
藩閥官僚勢力の意図により,明治憲法では君主権は強く,衆議院の権限は弱く規定されていた。さらに,政党内閣が出現する場合にそなえ,軍や枢密院などを天皇直属とし,内閣に対し独立性をもつようにしていた。しかしこうした制約にもかかわらず憲法が実際に施行されると,衆議院は予算制定権や立法権をてこにその影響力を次第に拡大していくことになった。
⑦天皇の最高諮問機関。憲法草案を審議するため設けられ,憲法で常置機関と定められた。議会開設後は藩閥官僚勢力の牙城となった。
⑧皇位継承など皇室にかかわることは,憲法ではなく,同時に発布された皇室典範で定められ,議会は関与できないとされた。
⑨議会の協賛を得ないで天皇が発する法律にかわる命令。しかし次議会で承諾が得られなければ効力を失う。
⑩憲法が制定された段階で内閣や軍令機関などの国家機関をにぎっていたのは,藩閥官僚であった。
大日本帝国憲法
第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第四条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
第八条 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス(下略)
第一一条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第一九条 日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均ク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得
第三三条 帝国議会ハ貴族院衆議院ノ両院ヲ以テ成立ス