計画ではこの日に歩きで知覧線も踏破する予定でした。しかし太田隧道攻略で多大な時間と体力を消費した為、バスにて知覧までワープ。知覧バス停から会館までは2kmほどの道のりです。普段なら何の事は無い距離ですが、密林探索と30km近くの歩きの後で応えました。

 

気を取り直し、沿道の石燈籠を見つつ目指します。一基毎に顔つきが変えられていて、特攻に殉じた方々のお顔を基に制作されているそうです。

 

タイトルに『知覧特攻平和会館』と入れはしましたが、施設内部の説明は他の方々にお譲りしたいと思います。

私自身は高校二年の時、東京は靖国神社にある『遊就館』を訪れました。そちらにも特攻作戦に召集された方々の遺書が展示されています。あの時受けた衝撃は計り知れません。国を守る覚悟と決意、そして親への優しい気遣い。当時17歳の私は、ほぼ同年齢の方々が作戦に参加した事実にも戦慄しました。みな達筆でした。授業中に自分の書くミミズ文字を想起しながら、様々な事に思いを巡らせたものです。

 

知覧バス停に戻りました。こちらが知覧駅跡ですが廃止が早かったため遺構は何もありません。

なお、写真は撮れませんでしたが付近の歩道脇には橋台が残っているのが車窓から見えました。

 

加世田に戻ります。ほぼ貸切状態で推移しました。

 

ホテルに到着、ロビーに看板猫ちゃんがいますがお休み中。

 

大変綺麗です。お部屋は角部屋で眺望良好。

 

取り敢えず荷物を下ろしました。中に入っているのは密林探索をした際に降り注いだ枯れ葉です。いやあキツかったな...。

 

目星を付けていた店がまさかの満席で違うお店へ。カウンターに落ち着いて晩酌を始めます。

鳥刺は身だったかな、弾力があり大変美味。甘口醤油とよく合います。

 

暫くするとご主人が話しかけてこられました。旅の目的の話になり「鉄道の跡を歩いています」と返答すると思い出話に火が付きました。

曰く、多夫施の高校に通われており枕崎線で通学していたとの由。近隣高校とはよく喧嘩が起こったのだとか。東京就職の際は西鹿児島ホームに見送り後輩たちが詰めかけ、一斗缶を打ち鳴らし盛大に騒ぎ立てた...等。荒々しい青春や時代だったそうです。

その後、厨房奥にある棚から漫画雑誌を取り出され、鹿児島交通と特攻を取り扱ったエピソードの頁を見せて頂きました。

「バスターミナルになって何も無くなってしまったけど忘れられんね。ただの雑誌だけど捨てられない。」

侘び寂びという感情だけで探索を行ってきましたが、確かに誰かの人生に存在した鉄路と知れたことは大きな収穫でした。

あの赤色の気動車の姿がより活き活きとして感じられます。

 

二件目は近くのラーメン居酒屋でシメ。

 

宿に帰ると看板猫ちゃんが目覚めていました。