陸のマーメイド | 原型師は燃えているか?

原型師は燃えているか?

見せてもらおうか そのオヤジの奮戦とやらを

急に続きが書きたくなったので、書いてみました。
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俺はあの日から、人魚の泳ぐ音がまた聞こえはしないかと、秘かに期待して体育館に行くようになっていた。
だが、それが叶う事はなかった。
休憩で非常口のコンクリートに立つと、後ろで中島が言った。
「巨乳ちゃんは今日も来ないってか」
意地悪い顔でニヤニヤしていた。
「うるせー・・」

二学期。
空のブルーが少し淡くなり、夏休みより温度の低い風が吹いている。
雲は積乱雲から巻雲になっていた。
お盆を過ぎると早くも秋の始まりとなる。
北国の夏は短い。

現国の夏休みの宿題が読書感想文で、太宰の『津軽』を図書館から借りていた。
二学期が始まってすぐの放課後、図書館に返しに行った。
カウンターで本を返して、なにげなく図書館の中を見た時、俺は長机に座っている人魚を見つけてしまった。
あの冷たい瞳を間違える事などない。

なるべく平静を装い、人魚から陰になっている本棚の方へ向かい、適当な本を手に取り開いた。
もちろん本など見てはいない。
本棚の隙間の遠くに、何か本を読んでいる人魚の横顔。
横髪はプールで見た時と違い、後ろで細いリボンでまとめられていた。
夏休みは兵士だったが、今日はスパイか。
「サイテー・・」と言う声が甦り、自分に少し嫌悪を催した時、人魚は本を閉じて立ち上がり、そのまま行ってしまった。
履いている上履きのラインが赤だった。
上級生は赤、同級生は青、下級生は緑となっていて、一目で学年が判るようになっている。
人魚は幻じゃなく3年だったのか。

その日から、放課後の部活練習が始まる前の図書館通いが日課になった。
部長と中島に、部活に来るのがいつも遅いとボヤかれたが、何かとゴマかし続けた。
そんな些細な努力も無駄で、人魚はまた姿を消した。
バスケ部の3年生に聞いて探す事もしなかったし、する必要もなかった。
ただ、また見てみたいというだけ。

その後、廊下で注意して人を見るようにしていたが、いつもの日々が続くだけで10月が来た。
クラスの学活(ホームルーム)では、運動会の出場選手が決められていた。
運動部は半強制的に選ばれる傾向があったので、嫌いな1500メーター走をやらされたら堪ったもんじゃないと思い、俺は障害物走に立候補した。
短距離は自信があるし、障害物走でもイイ線に行けるだろうと考えたからだ。
思いがけずリレーの選手にも選ばれてしまったが。
運動会は全学年が校庭に集まるから、絶対人魚を見つける事が出来るだろう。
俺が走っているところを見られるかも知れないし。
こんなに楽しみな運動会は生まれて初めてだ。

運動会当日。
クラスごとに椅子がまとめて並べられている。
障害物走とリレーは午後の種目だから、俺は3年の椅子が並んでいる所に何度か行き、人魚を探した。
見つからない、休んでいるのだろうか。
人魚は水の中に居るものだしなとか馬鹿な事を考えながらも、落胆した。

午後になり、出番が来た。
スタートラインに並んだ顔ぶれを見ると、いつものニヤニヤ顔の中島も居る。
「何だよ、お前も障害走だったのか」
「まぁな、マジメに走るのもカッタルいしな」
他はともかく、中島には負けたくない。
なにより、人魚が居なくて、少しヤケクソな気分だった。

号砲一発、三つ並んだ5段の跳び箱に向かって全力で走る。
前にも横にも誰も居ない。
後ろに中島の気配を感じながら跳び箱の上を蹴り着地した時、体が前につんのめって転びそうになった。
思い切り飛び過ぎたのだ。
その間に俺は中島に抜かれて二位になる。
クソッ!!
流れる景色の先に地面に伏せた網が見えた。
ここで抜いてやる。
頭から飛び込むように網に突っ込む。
イッテ!
手の平と膝に刺すような痛みが走ったが、おかまいなしに網を抜け出てハードルに向かう。
結局、中島が一着、俺は二着だった。

一着の旗を手に、肩で息をしていた中島が珍しく真面目な顔をして言った。
「お前、手と膝から結構血が出てんぞ、救護に行けよ」
「一等の賞品取られちゃったな」
「ハハハ、いいから行けよ、バカ」
中島のニヤニヤが戻ってきた。
「クッソー・・」
改めて見ると、傷は小石と土の混じった深い擦過傷で血が流れていた。
さっきまで気づかなかったが、じくじくと痛んできた。

体育館の非常口に救護所と書かれた紙が貼ってある。
救護所は保健委員の担当で、壁ぎわで何人かが既に手当をしていた。
どこに並ぼうかと壁に向かって歩いて行き、俺は心臓が止まりそうになった。
リボンをした人魚が居る。
それも、俺を見ている。
「こっち来て!」
人魚は救急箱を開け、手早く消毒薬や繃帯を出している。
「あっ・・・・・あの」
頭は混乱の極み。
人魚に触られたい。
いや、それはダメだ。
下を向いていた人魚が顔を上げて、また俺を見た。
「あの・・・大した事ないんで何枚か絆創膏くれるだけでいい・・よ」
俺は何を言っているんだ。
「いいから」
スパイは二度目の冷たい瞳に逮捕された。

人魚の顔が近づき、指が俺の手に触れた。
人魚の指は柔らかかった。
インフルエンザに罹ったように、体が妙に熱くなる。
傷口に消毒液を吹きかけ、ガーゼで押さえると忘れていた痛みが戻って来た。
人魚は夏休みの「覗き犯」が俺だとは全く気づいていないようだった。
恥ずかしくなりながら、身を任せるように処置される。
お互い無言。

あの時と同じ甘い香りがして、やっぱり手と膝小僧が痛んだ。