すっかりアメーバから遠ざかってしまいました。
今は職場で15歳以上年下の後輩に
「生きるとは?」
「社会とは?」
を、問いかける口うるさい古株と思われてるでしょうね(笑)。
41という年齢を重ねることで、嬉しいことが2つ。
愛する妻とは20歳で出会いましたので、出会ってからの方が長くなったということ。
二つ目は、私の哲学人生の起源となった30年前の11歳。
それを見守ってくれた当時の母と同じ年齢になれたということ。
私達夫婦は子供はいませんので、親の大変さは実際にはわからないかもしれません。
ただ、思いを馳せることは出来ます。
皆様も考えてみてくださいませ。
「今現在の貴方が、幼き日の貴方自身を、正しく教え、育て、導くことが出来ますか?」
と。
私は無理ですね(笑)。
めっちゃ大変な子供でしたから(笑)。
とにかく幼い頃から一筋縄ではいかないヒネくれた思考回路でしたから。
とても面倒な子供でした。
話は少し逸れますが、日本語って的確ですよね。
皮肉や自嘲があるにせよ、今の若者は直ぐに
「面倒くさい」
と言いますが、子供や年下の世話をすることを
「面倒をみる」
と言いますね。
また、「世話」とは、そのまま「世の話」です。
「業」という字は「ごう」と読みます。
人間が生きていく上で仕方のない欲望や罪を指します。
「業物」は「わざもの」といい、職人さんの珠玉の一品を言います。
「生業」は「なりわい」と読みます。どういう職業で生計を立てるか?を言いますが、更に深く言えば、「どの様な罪を重ねて命を繋ぎ止めているか?」
です。
「食い扶持」「録でもない」「お天道さん」
この言葉の意味を考えてくださいませ。
ツールの発達で一人で居ることが苦しくなくなってきている現在、若者ほど、より若い者に
「君たちはどう生きるか?」
を問いかけてほしいです。
それと…

私が敬愛する
故・星野仙一さんの著書のタイトルのように
「迷った時は前に出ろ」
の心構えを持っていてほしいです。
「やるか、やらないだったら、やる方を選べ。やらなかった失敗よりも、やって駄目だった方を選べ」
「指導者は、『全力で誉めろ、全力で叱れ』」
と星野仙一さんは述べています。
たくさんの人に価値ある一日を。