反証なき異論ばかり唱えてませんか?メディア論と政治学についての啓蒙 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

「政治が悪い」

「報道が悪い」

なんて毎日の様に誰かが言ってるかと思います。

発言は自由ですが、

「じゃあ、どうするの?」

と思います。

「対案を示せ」
と言えば政治的になりますので控えたいですが、ただイメージしてほしいのです。

「では、良い政治とは何か?」

「良い報道とは何か?」

です。

1 「良い政治とは?」の考察。

これは国民目線では何よりも
「税金の無駄使いをしない」
を挙げる方が多いかと思います。
しかし、役人とは予算を集めることにのみ有能なんですよね。
「何に使うか?」のスローガンばかり美辞麗句を並べるのは天才的でしょう。
しかし、

「どのように使うか?」

にはものすごく不得意かと思います。
一つの案件が中間の段階でイレギュラーなことは起きて当然でしょう。
そもそも政治とは50年100年先を見据えてほしいものであり、世界情勢やテクノロジーの発達で柔軟に対応するのは当然です。
ただ、通り一辺のやり方では暗雲が立ち込めだした時に、釘を刺す側も刺される側も

「しっかり」
「きちんと」
「ちゃんと」
「普通に」
「常識的に」

としか述べない政治家もマスコミも評論家も私は嫌いです。

はい、私は上記4つの
「中身のなさ」

が大嫌いでございます。
己の尺度だけで「普通に~」を連呼して常識を押し付けるのに辟易しております。

勿論、税金の無駄使いとは悪い政治の一端であり、軍事外交や立法においても良い、悪いはあるでしょう。
それはまた別の機会に。

2 「良い報道とは?」の検証

誤報はいけません。
たくさんの人が迷惑します。
では

「今まで誤報をしてないから良い報道」
とは、誰も誉めません。

「空前のスクープ」

が良い報道でしょうか?

「地道に頑張ってる人にスポットを当てるドキュメント」

でしょうか?

そもそもメディアとは伝達手段の「ツール=記録媒体としての道具」であり、ネットが発達した時代では、一般人が情報を発信する側に立つことが簡単になりましたね。事件報道でも視聴者提供の動画が使われてきましたね。
巨大な(マス)通信手段(メディア)を持って発信するからマス=コミュニケーションなんですよね。

日本国民が抱えてる不満は

「ジャーナリズムの方向性」

だと思います。

原稿を読み上げるだけの人間はジャーナリストではありません。事実に対して自分の考えを述べられる人間です。