
ガレオン船
(ガレオンせん)
galleon15~16世紀に登場した3~4層甲板の大型帆走軍艦。商船としても用いられた。火砲の発達とともに,より大きな砲を軍艦に搭載する要求が起ったが,それまでのガレー船では上層甲板に重い砲を積むと転覆する危険があった。ヘンリー8世治下のイギリスの造船工が砲を下層甲板から舷側に開けられた窓を通じて発射することを考案し,帆走技術の向上に伴ってガレオン船が生れた。ガレオン船はガレー船に比べて遠洋の航海に耐え,本格的な対艦艦砲射撃を可能にした。 (ブリタニカ国際百科事典より)
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はい、日本人が「帆船」と聞いてイメージするのは、恐らくこのガレオン船だと思います。
総帆船なので、櫂がなくても進む画期的な船でした。
上記の説明にある、「下層甲板から舷側に開けられた窓」
もう、この説明があるだけでワクワクする私です(笑)。
そう、簡単に言えば「敵に対して、船を横向きにして大砲攻撃する」
これが海船の基本なんですよね~。
また、敵の船に飛び移って斬りかかるの も、船と船を横付けする必要があります。
大砲の力や船乗りの戦闘力だけでなく、巧みな操舵術も要求されたかと考えれば、ガレオン船はロマンの塊です。
また、ガレオン船は主に国軍の船です。
いわゆる「海賊船」はもう少し小さな「カラック船」でした。
本当の海賊は小さな船で商船を装って近付き、相手の船に飛び移る戦術や、浅瀬に誘導して大型船を座礁させる戦術を使ってました。
大型ガレオン船にドクロマークを着けて「海賊船だー!」ってのは実際にはあり得ないですよね。
まず相手に逃げられますよね。
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日本もサン・フアン・バウティスタ号が家康の許可の下に作り出された初の日本製ガレオン船であり、他にもウィリアム・アダムス(三浦按針)がサン・ブエナ・ベントゥーラ号という名のガレオン船を建造したようです。
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サン・フアン・バウティスタ号は、あの支倉常長が乗った船です。
優秀な日本人は2ヶ月で最初のガレオン船の建造に成功しました。
この船には以外な人物も乗っていたとの説もあります。
家康の六男松平忠輝です。
彼の妻は支倉常長の主君、伊達政宗の娘・五郎八(いろは)姫です。
松平忠輝は家臣の大久保長安に担ぎ上げられ、国内のキリシタン一揆の首謀者にさせられそうになります。続