ソクラテスの妻、クサンチッペ 後編 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
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70歳のソクラテスには三人の息子が居ました。
長男は17歳か18歳くらいでしたが、次男、三男はまだ幼子でした。

ある書籍には長男はソクラテスの領地の管理を任され、次男は馬の調教師になる為に弟子入り中とありましたが、今読んでる本にはその記述はありませんでした。
次男もまだ幼いなら弟子入りはまだ早かったか?
しかし、日本の丁稚奉公みたいなのなら7~8歳でも弟子入りしてたのかな?

ソクラテスは石屋の息子と生まれました。
石屋というのは墓石を作る職人か、彫刻師のどちからと言われています。
17歳で哲学者のアルケラオスに師事します。
28で従軍し、40歳近くまで歴戦の英雄として名を轟かせます。

ソクラテス40歳くらいのころ、友人のカイレフォンがアテナイの神託を受けます。
神託とは神殿の巫女に質問したら何でも教えてくれるってやつです。
現代社会において、それはバラエティやコメディの延長に思えるかもしれませんが、紀元前に生きた人間には社会と人生を左右する大事なことでした。
友人カイレフォンは質問してしまったのです。

「最も優れた賢者は誰か?」

神殿の巫女は神様の言葉を授かりました。
「ソクラテスこそ最大の賢者だと。」

当のソクラテスは大変困惑します。
巫女のお告げは戦争の作戦をも決定付けるほど重大なのですから当然です。
ソクラテスは「私なんかが賢者なわけがない」と主張しますが、それには自分以上の賢者を自ら探しださなければなりませんでした。
これが有名な「無知の知」の旅の始まりでした。
ソクラテスは45で再び従軍します。
この時は重装兵として参戦しています。
なお、当時の兵隊は戦費は自己負担です。剣も鎧も国から支給されません。従者も自分で雇います。
よって高額な重装備が出来たということは、かなりの高額所得者だったと思われます。

戦争が終わったころの50歳くらいでクサンチッペと結ばれます。

長男のラムクロプレスが、実母クサンチッペの態度に腹を立て、ソクラテスが我が息子の態度を諭す対話篇があります。

ラムクロプレス「あんなに酷い性質は我慢なりません!
世界中の物を貰っても、聞きたくないことを言うのですから」

この長男が言う「貰う」を言葉通り解釈したら、

「僕は母さんに贅沢させる為にあらゆる物を与えたが、それでも不満を言う」
と、なりますが息子を思う為に「聞きたくないこと」を言い続けた母とも思えます。(続く)