「悪しき妻を持て。さすれば汝は哲学者となるだろう。」
とはソクラテスの言葉です。
これにより、ソクラテスの妻のクサンチッペは
「悪妻の代表」と後世に名を残します。
いえ、それでも「クサンチッペ」という固有名を知ってる方が少数でしょう。
殆どの人は
「ソクラテスの妻は悪妻」
というイメージしか持ってません。
しかし、クサンチッペは本当に悪妻だったのか?
私はそうは思わない。
ソクラテスは70歳で死刑判決を宣告され、その生涯を閉じます。
その時、ソクラテスとクサンチッペの間には三人の男の子が居ました。
長男のラムクロプレスは17歳から18歳だったと伝えられ、次男と三男はまだ幼かったと言われています。
これにより、ソクラテスが結婚したのは50歳前後と考えられます。
紀元前400年ごろの話ですから、クサンチッペと父娘ほど年が離れていても不思議ではないでしょう。(それでもクサンチッペが高齢出産した可能性もありますが)
クサンチッペはソクラテスが幽閉された孤島に三男を抱いて、ソクラテスの弟子達と面会に訪れています。
弟子達はソクラテスを脱獄させるつもりでした。
看守(門番)もソクラテスにその意志があれば、必要以上に阻止しない姿勢でした。
しかし、ソクラテスは弟子達の説得を頑なに拒否し、毒人参を溶かした聖杯を飲み干す決断をします。
その時、漸く弟子達は門番にクサンチッペの面会を許可する様に促しました。
弟子達に囲まれたソクラテスの姿を観たクサンチッペはその場で泣き崩れ、
「ソクラテス、あなたと親しい方たちがお互いに言葉を交わすのも、いよいよこれが最後ね。」
と言い残します。
これがソクラテスと交わした最後の言葉です。
私はこの言葉と状況がクサンチッペが悪妻でなかった何よりの証拠だと思います。
まず、幼子を抱いて孤島まで来たこと。
脱獄の手引きが失敗してから弟子達はクサンチッペを呼んだこと。
最後の場面には16人の弟子が会いに来てますが、説得に失敗してから呼んだのは、師の奥さんに脱獄の手引きの罪を着せたくなかったとの配慮と思われます。
また、ソクラテスは哲学者を自称していません。ソクラテスが高額な授業料を取る「ソフィスト」を揶揄しての言葉なら「悪妻」の意味もわかるでしょう。
イギリス功利主義者ミルの
「満足した豚よりも、不満足なソクラテスである方がよい」
との言葉が余計に「悪妻」を印象付けましたね