「活け伊勢エビ料理・中納言」

という料理店のCMが、阪神戦で必ず流れるのです。
当時タイガースの野球にあまり興味はありませんでしたが、このエビが「バシャッ」って弾けるCMは子供の時から凄く印象に残ってました。
そんな私が保育園ぐらいの時、家族で地元神戸の須磨水族館に行った時の話です。
※この場合の「水族館」は関西人は「すいぞっかん」と発音します。
兄と私は初めて観る幻想的な世界に大興奮でした。
幼い私はその時、水槽の中の伊勢エビを観て
「ちゅうなごんやー!」
と大声で叫んでしまいました。
隣の兄は大笑いでした。
周りのお客さんも大笑いでした。
一番笑ってたのは私の父でした。
最後まで本当に笑ってました。
家に帰っても笑ってました。
「○○(私の名前)はあの時水族館の伊勢エビを観て『中納言や!』と言った」
と何回も繰り返して言いました。
何日も繰り返して言いました。
何年経過しても言ってました。
保育園から幼稚園、小学校から中学校…。
父と母が離婚しても、私の中の年取らぬ父は、古い生家の食卓で阪神戦がCMに入る度にこの水族館の話を繰り返していました。
今年の5月、父が亡くなりました。
いわゆる独居生活での孤独死でした。
18年ぶりに聞いた名前は役所からの報せでした。
不思議なものですね。
「怒りや憎しみは決して消えるわけではないが、振り返って思い出すのは楽しく美しい思い出ばかり」
こんな言葉は映画の中の世界だと思ってましたが、まさか自分も該当するとは思ってませんでした。
酒を飲もうが仕事を辞めようが家にマルボーが押し掛けようが、親としては確かに不適格な人物だったでしょう。
成長する兄と私と「大人対大人」「社会人対社会人」として向き合えなかったかもしれません。
「我が子」ではなく「小さな赤ちゃん」だから可愛がっただけかもしれません。
しかし、私達と遊んでくれました。
結果は伴わなかったかもしれませんが、母を想う気持ちは間違いなかったでしょう。
兄は後年、父を「呂布奉先」と評してました。
私から見れば「じゃりん子チエの竹本テツ」ですが。
私が私を越えて前に進むために。
嬉しくもなければ悲しくもない何気ない日常の呟きでした。
了