この日にまさか自分が | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

終戦記念日と盆がごっちゃになってしまう私ですが、肝心なことは盆は戦前から盆だったということです。

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まさか自分でこのようなものを自作するとは思いませんでした。

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人形は、お盆時期の神霊の移動のための乗り物とされ、神霊を迎える準備品の一つとして、迎え盆(8月13日)の日に盆棚にそなえる。
キュウリの馬・・・足の速い馬に乗って早くあの世から家に帰って来られるように
ナスの牛・・・足の遅い牛に乗ってゆっくりあの世に戻って行くように、この世からお供物をたくさん積んで楽に帰れるように
(以上、『精霊馬』のはてなワードより転載)
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「年を取れば信心深くなる」

と言いますが、改めてそれが自分にも該当するとは思いませんでした。

若者にはただ、「弱さ」とか「形式的な親の世代の踏襲」と思うかもしれないですね。
それも一つかもしれませんが、全部ではありません。

年齢を重ねるにつれ、「出来ることと出来ないこと」
がわかるようになり、自分の命が生かされてることがわかってきます。

独力でどうしようもない事態に直面した時に、神に祈る気持ちと同じくらい、ご先祖さまに感謝したくなるのです。

きゅうりの馬とナスの牛は何とも日本的で牧歌的な解釈ですね。

「帰りはたくさんのお供え物を積んで持って帰るために、ゆっくりと」

八百万の神と共に生きた日本人らしい考えですね。

「まだここに居てもいいんですよ」

って優しい想いが伝わるようです。

これが西洋文化なら逆でしょう。

「供養が終わったら早く帰れるように。
来てもらうまでは猶予を設ければいいからゆっくりで構わない。

帰るのに時間がかかれば、居座ったり、迷ったり、浮遊した魂が増えるから」

とか言いそうですね。
そう、現世社会の視点であり、先祖の霊の視点じゃないんですよね。


「今日の命をありがとう。」


「神を知らずに生まれてきた。
しかし、愛し方を教わった覚えはない」byアウグストゥヌス

「言葉の命は愛である」by椎名鱗三

今日、この日にこの言葉を…。