相野るん16歳の滞在記6~愛しの玉子様!?45 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

「おばあちゃん、伯母さん、本当にありがとう。
この三日間本当に有意義だったわ!」


おばあちゃんの家で8年前の昔話を聞かされた後は、別に何をするでもなく、翠伯母さんの家事を手伝った。
お掃除して、洗濯して、一緒に買い物に行ってお料理して。
私をお客様のように扱わないおばあちゃんと伯母さんが嬉しかった。
2日目は、おばあちゃんの知り合いの方の所で農業のお手伝いをした。
秋の始まりの今が落花生の収穫時期で、私は貴重な体験が出来た。
1から10まで学校が管理する農業体験とは全然違ったし、家族へのお土産も出来たしいうことなしだ。
「るんちゃん、本当に大丈夫かい?
もう少しウチに居てもいいんだよ?」

「ありがとう、おばあちゃん。
…過去の私と向き合えた私は…もう現実から逃げない。
どんな結果になっても受け入れられるわ。」

「そう悲観することもないよ。
どうせ、男と女しか居ない世の中なんだから。」

「わかってる。まだ嵐のこと諦めたわけじゃないわ。
じゃあ、『つくばエクスプレス』の時間もあるから…。」

嵐が決めたのと違うルートで帰りたい気持ちもあるが、翠伯母さんから教えてもらったこの電車
ファイル1527.jpg
に行きよりも高い料金を払ってでも乗りたかった。
そして今までを振り返りたかった。

****
そう、全ては私を思う気持ちだった。

8年前、川で溺れた私は直ぐに嵐と霧雨兄弟に助けられたが、幼い男の子達が応急手当も出来ず、川から自宅に知らせるまで時間がかかり、その為私は高熱にうなされた。

お母さんは静伯母さんを激しく責め

「親の義務を果たせないなら、嵐くんを私が育ててもいいのよ!」

とまで言ったのが、決定的な溝となったみたいだ。
そしてパパも

「末っ子のるんにだけは相野グループの重責に関係なく育てようと決めたのに、何故、この子がこんな目に!」

って悲しんでたそうだ。
それでも結局、嵐はウチに来ることになったし、私はパパの「三番目」の言葉を変に解釈して家を飛び出した。
運命って皮肉ね…。
そして…夢の中で私に向かって

「川の流れはプールとは違うんや!」

と叱った少年は幼き嵐だった。
私は嵐に命を救われていた。
ただその直後、私は泣きながら

「ありがとう嵐くん。大好きよ。
私、嵐くんのお嫁さんになる」

と口走ったことを嵐が忘れてることを願うばかりだ。