人は平等を求めるのは自然な姿でしょう。
そして人間は完璧ではありません。
マルクスは共産主義を提唱し、ニーチェの哲学は虚無主義と言われた。
全てを分け隔てなく、平等を実現する最も簡単な方法があります。
「全員を悪者」
と一括すればいいのです。
立場の異なる者を好き勝手に批判して、批判の矛先が自分に向けば、「完璧な人間は居ない」と言う。
虚無と平等はとかく親密になりやすいようだ(笑)。
エレキギターのエフェクターに「コンプレッサー」というのがあります。
大き過ぎる音を小さくし、小さ過ぎる音を大きくする機械です。
「押さえつける」と言う意味なのですが、「成果主義」と「平等主義」の綱引きを考えると、いつもこのエフェクターのことが頭に浮かびます。
そう、平等主義の弊害は「怠惰」なんですよね…。
「頑張らなくてもみんな同じ」
が巻き起こした現実はソビエトの歴史を言わずとも…でしょう(笑)。
そうなると怠惰の正当性として
「どうせ全員理想に到達出来ていない」
と虚無主義に思えば何とも狡猾な算段なんですよね。
いえいえ、共産主義は非常に有効な抑止でもあります。
それは労働環境の監視役となるからです。
そもそも全ては「絶対王政」のアンチテーゼとして民主主義は成立したのです。
王様の気まぐれで殺されたり財産を奪われたくないし、国家元首が世襲なのに反対だからこその民主主義なのですね。
その民主主義を実現する手段としての資本主義か共産主義かであり、共産主義の目的は「民主主義の達成」なんですよ。
どっぷりと資本主義で生活してる日本人にはピンとこないでしょうが、産業革命が起こった直後は、過酷な労働環境で子供が炭鉱で働かせれたり、資本家の不当な搾取を無くす為に共産主義は非常に尽力したことを忘れてはいけません。
またソビエトの「社会主義国」は共産主義思想の一派で「空想的社会主義」に分類されてるだけなのですね。
社会主義は「私有財産の制限により経済的平等を目指す」
で、
共産主義は「私有財産の廃止」です。
実は未だに国家として「共産主義国家」は実現出来ていないのですね。
私有財産や市場の開放や、実質国家を運営する為の「資本」がそもそも「財産」という矛盾がついて周ります。
しかし、ユートピアはユートピアとして心に抱いておきたいものですね。
また虚無主義も本当は神の奇跡にすがることへの警鐘で怠惰の奨励ではない