解かない方が良かった数式を解いたことによる責務からの弁明は、真理の漸近線となるのか?という考察。 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

はい、長ったらしいタイトルそのものが脆弱な私自身への言い訳です。

今日は「社会」について述べます。
タイトルで数式を解くとか言っておきながら社会です。
「社会科」ではありません。
文明社会が半永久的に放置してきた数式に私ごとき俗人にて凡人が挑戦させて頂きます。

即ち、


「五人殺せば殺人鬼。五万人殺せば英雄」

の言葉です。

ロシア、ウクライナ、中東、イスラム、中国、東アジア。
世界のバランスが今にも崩れそうな時だからこそ、私ははっきり言います。

「法律とは権力者の利益の為にある。」

という当たり前の大前提のことです。

まずここで、賢明な私の読者様達は

「やっぱり政治家が好き勝手してるんだ」

と早合点してないはずです。
はい、21世紀の日本は民主主義にて資本主義です。
「権力者」とは「国民」です。
つまり法律とは国家と国民の利益の為にあるのです。

「犯罪者は国家と国民の不利益だから裁かれる。」
「戦争による領土の拡大は国家と国民の利益(と推定される)だから罪に問われない。」

ただこれだけのことです。
良い悪いや、戦争や戦争犯罪の肯定をしてるのではありません。

ただ人類と国家の歴史とは、上記の考えに当てはめると、とても合理的かつ論理的矛盾が少ないということです。

犯罪者を「死刑」にするのは、義憤や仇討ちでも、ましてや「神の代行人」ではありません。
「自分達が犯罪者をのさばらすことで迷惑を被りたくないから」です。
勿論、「更生」とか「酌量」は費用対効果を前提にしてるのは言うまでもありません。
だからこそ「死刑」は「国家による殺人」に間違いないのでしょうが、本来ならば法務大臣のサインではなく、国民全員のサインが必要なくらい重大なことだと認識してほしいのです。

差別を助長するつもりはありませんが、動物を殺せば「器物損壊」なのも、国民及び国家が被る不利益がそれだけ低く算段されてるってことです。

いわゆる「心身喪失」も是か非ではなく、その可能性がある犯罪者ならば、組織的、計画的に国民と国家に不利益を与えはしないだろう、ならば刑罰を軽くしても構わない、って論理です。


天地神明に誓って、私は冷たい論理や数式よりも愛と道徳と倫理を優先する人間です。

しかし、世の中の冷たく無機質な流れを把握し、全て了解の上で愛の尊さを訴えたいのです。

善か悪か?ではなく「善悪を用いる事かどうか?」が重要なのです