今日、この日に私の哲学の全てを集約して書かせていただきます。
「健康とは矛盾を解消する力である。」
とは敬愛するデンマークの哲学者、セーレン・キルケゴールの言葉です。
「矛盾を解消する力」とは、論理的証明で人生の矛盾を解き明かして白黒を定義付けることではありません。
矛盾を矛盾のままに受け入れることが出来るのは、身心が健康である証拠って意味です。
しかし、人間は病んだ時ほど白黒をつけたがり、健康に無頓着なほど今在る自分に傲るものです。
「健康とは弁証法的である」
もキルケゴールの言葉ですが、つまり
「健康でない」
を知り、その反対を証明することでしか
「健康だ」
は示せないのです。
走ったり、緊張したりすると心臓はバクバクします。
これは明らかに通常状態ではありません。
しかし、心臓がバクバクすることを認識することで初めて、心臓の存在を知るのです。
普段は「あぁ、心臓が動いてる」なんて一々考えていません。
また自転車はペダルを踏むから走るのです。
車輪は絶対に直立しません。
前に走る力があるから2輪車は「立っている」のです。
そう、2輪車が「立っている」方が不思議であり矛盾なのです。
しかし、身心が病むと、ペダルを踏むことをせずに「何故、車輪は立たないのか?何故、今まで直立出来ていたのか?」との考えに陥りがちです。
はい、察しの良い読者様なら私の言いたいことがもうわかるでしょう。
「健康」を「平和」に置き換えてみてくださいませ。
ペダルを踏まずに自転車は走りません。
そして本来「走ってること」が不思議であり、当たり前ではないのです。
「善」「普通」「常識」は絶え間無い努力で勝ち取るもので、当たり前にあるものではないのです。
先日、三重に訪れた台風で電車が止まったり遅れたことで改めて認識しました。
「通常状態が善」
なのです。
ダイヤが正常なことが善。
災害が悪。
復旧作業が正義。
なのです。
台風で誰もが困ってる時に、数分遅れただけで電鉄会社に犯罪者の如くクレームをつける輩はまさに「当たり前」を振りかざし、平和という財産を貪る連中ですね。
またむやみやたらに「正義」を振りかざす連中は夏に除雪車を走らせる様なものです。
「平時の将軍」が冷遇されるのも平和だからこそ、という皮肉、矛盾そのものです。
絶え間無い努力こそが平和の秘訣。
怠惰の奨励が平和ではない。