閉廷編 1
アテネ市民の諸君よ、遠くない未来に諸君は
「辛抱が足らぬ為に賢人ソクラテスを死刑に処した」
という罪科を負わされるであろう。
私が自らを賢人と呼ばなくても、諸君らを批議する者は、私を賢人と呼ぶからである。
もし、諸君が今暫くの時を我慢すれば、諸君らの願いは自然に叶ったというのに。
そう、高齢の私が放っておいても死ぬということだ。
もっともこれは、裁判官諸君全員ではなく、有罪票を入れた者達にだけである。
諸君の中には私が有罪となった原因は
「言葉の不足」
であり、有罪を免れるためなら、どんなことをしても構わないと信じてたならば、言葉次第で説き伏せられたのに、と。
しかし、私が有罪となった本当の原因は
「厚顔無恥の不足と、諸君を喜ばすような言葉で心を動かしてやろうという意図の不足」
である。
しかし、私は泣いたりわめいたりせず、身に迫る危険に賤民のように振る舞うべきではなく、この様な弁明で死ぬことは、そうまでして生きることより優れていると信じている。
元より戦場でさえ、武器を捨て、追撃者に哀願すれば、死だけは免れることは容易な場合が多い。
『死を免れることは困難ではなく、悪を免れることの方が遥かに困難である。
それは死よりも早く駆け抜けるからである』
緩慢で老年な私は、緩慢な者に、強壮で迅速な告発者は迅速な邪悪に追い付かれたのである。
私は『諸君から』死罪を宣告され退場するが、告発者は『真理から』賤劣と不正の罪で退場するであろう。
有罪票を入れた諸君には、これから起こる未来に予言しておきたい。
死期が迫れば予言力が増すからである。
ゼウスにかけて、私に課した死刑以上の重き罰が、諸君の上に来るであろう。
諸君が有罪票を入れれば、今後ソクラテスから責められずに済むと考えたからであろう。
しかし、未来は真逆である。
今より多くの問責者が押し寄せるであろう。
これまでは私が彼らを阻止していたのである。
彼らは若いだけに一層峻劣である。
もし、人々を殺すことによって正しくない人間から阻止出来ると思っているなら誤りである。
『最も立派で最も容易なのは、他者を圧伏することではなく、出来る限り善くなるように自ら心がけることである。
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実際にこの先の未来に、若きソクラテスの支持者は告発者メレトス、アニュトス、リュコンの三人を告発し返し、無裁判で死刑にしています。
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