読者様の哲学を想起させるのが目的です。
小泉吉宏著「ブッタとシッタカブッタ」シリーズより
「貴方は夕焼けを見て、『昨日の夕焼けは嘘だった』なんて思いますか?」

「貴方は海を見て『真実だ』『偽りだ』と言いますか?

はい、多分当たり前の質問をしています。
ほとんどの方は「否」と言うでしょう。
よほど屈折した思考か人智の及ばない画期的な発想をお持ちの方だけ「是」というでしょう。
はい、大自然を見たら「嘘」も「本当」も無く、「あるがまま」を受け入れるだけです。
目を閉じても、海や太陽は貴方から消滅してくれません。
それはただ…「在る(ある)」だけなのです。
だからこそ私は自然、あるがまま、通常状態こそが「善」と思います。
昨日の記事で「正義は取り戻す意味合いが強い」と書きましたが、私は「正義とは善への帰り道」かと思います。
勿論、自分が絶対とは思いません。
しかし、人間は哲学の問いかけに対する答えを常に持っていなければ人間ではありえないのです。
憎しみの連鎖は有史以来、未だに続いています。
「ガンダムSEED」のセリフの中で、
「やったからやり返されて、やられたからやり返して…。
じゃあ…誰となら戦いたい?」
ってありました。
「やり返す正当性、我こそが被害者。
日常を取り戻す権利」
はい、これだけで戦地へ赴く理由が出来てしまいます。
自作の「カイレフォンの友人」でも近いことを書きましたが、「三人殺されたから五人殺す正義が認められるか?」
と主人公が問いかけますが、こんなことがあってはいけないのです。
「善いこと」は本来、普通で当たり前でと思います。
イレギュラーなトラブルを「解決するまで」が正義では?と考えれば、元不良が立派に更生されると、やたらと周囲に過大評価されることに不公平感を感じた方ならわかるでしょう。
「取り戻した正義のベクトル」は大きいかもしれませんが、常に毎日を問題なく過ごした方の「善行」とはそもそも比べるものではないのです。
晴れの日も雨の日も台風もあるでしょう。
しかし、丁度良い温度と湿度の日があったとしても、365日完全に同じではありません。
「自然」という日本語は「ナチュラル」と「ネイチャー」です