イエス=キリストの言葉
「私はサタンが落ちるのを見た」
との言葉を残しています。
これが後に問題となります。
今現在でも続いている悪魔王サタンと天使長ルシファーの同一説と別人説。
問題を複雑にしたのはイエスの上の言葉です。
「私はサタンが落ちるのを見た」
は、後に
「私がサタンを落とした」
に解釈され、「キリスト教への信仰心がサタンを退けた」になります。
はい、別にこれは問題ありません。
サタンをヤハウェが倒そうが、ミカエルが倒そうとも、人間の信仰心が結局は悪に打ち勝つのですから、「天使が私の為に戦ってくれる」という他力本願よりかはマシかもしれません。
しかし、問題はイエスの教義ではありません。
イエスの人間としての存在、歴史的事実です。
イエスが生まれる遥かに昔から存在するユダヤ教やゾロアスター教における教義では、
「イエス誕生前にイエスが悪魔王を葬るのは無理なのです。」
ユダヤ教は旧約聖書のみですが、キリスト教は旧約と新約の両方を用いています。
つまり旧約に関してはイエス個人が活躍することは不可能なのです(笑)。
ここで用いられたのが、ルシファーとサタン別人説です。
はい、ルシファーはユダヤ人を奴隷としたバビロニアが滅ぶとき、
「明けの明星が落ちるのを見た」
との一説で、ラテン語の金星=ルキフェルに由来します。
日本でも西郷さんが亡くなる時は火星がとても紅くなったそうですね。
つまり、ユダヤの敵のバビロニアに加担した堕天使ルシファーは、イエス誕生前に地獄に落とされています。
そして最後の審判の時に、再降臨したイエスと篤き信仰心のある者達により、サタンに打ち勝つってことらしいです。
じゃあ、サタンが別人なら、サタンは何をしたか?ってなると、これまた強引な解釈で、
「アダムとイヴの、イヴに禁断の果実を食べさせたのがサタンだ」
とか
「ヨブ記にある、ヤハウェに人間を試練を与えるように進言した悪魔(そもそも何故天界に居て、ヤハウェに気軽に話かけられる?)がサタンとの説があります。」
「また、ダビデ王にヤハウェは人口調査を命じながら、やり終えると激怒した。これはあまりに非道だから調査を命じたのはサタンにしよう」
などなど。
ルシファーの成分を抜き去ったサタンはどう考えても「ヤハウェと天界の無茶ぶりの影」としか思えません。
サタンは嫉妬深きヤハウェそのものにも思えます。