ヤハウェは求めた | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

間違いなくヤハウェは嫉妬深い。

間違いなくヤハウェは理不尽な要求をする。

異教側からの視点で「ヤハウェ」は悪魔、魔王とされているのは揺るぎない事実です。

だが、それがなんであろうか?
そもそも神=完璧と誰が決めたのであろうか?

人間が不完全な存在であることと、神=完璧は別々の問題では?

神が完全に完璧な存在ならば、ヤハウェのように不完全で理不尽な部分を持ち合わせているからこそ、「完全」では?


だってそもそもヤハウェが完璧なら、人間なんて必要ないですから!(笑)。

私達はどうせ貴方に遠く及ばない存在ですから!(笑)。


人生の目的が、己の不完全性を知りながらも受け入れる「足るを知る」に価値を見いだすなら、ヤハウェの不完全さを受け入れることが真の信仰心ではなかろうか?

なんということはない。

ヤハウェは自分の足りない所を補う為に人間を創造されただけのこと。
それは人間や地上の幸福でなく、ヤハウェがヤハウェ自身の為に高みを目指すだけのこと。

ヤハウェが嫉妬深いのは周知の事実。
だからと言って嫉妬深さを奨励はしない。
ヤハウェより優れた愛でヤハウェを愛するかは貴方次第。
ヤハウェ無しに生きるのも貴方次第。


ただしヤハウェも人間も有限な存在。

「法則」「理(ことわり)」には逆らえない。


旧約聖書の伝えたかったこと


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はい、勿論、私個人の解釈です。

「ソフィーの世界」にある

「ダーウィンの進化論はアダムとイヴをお伽噺に変えた。」

ってセリフが好きです。

しかし、大切なのはアダムとイヴの真偽ではなく、物語のなかのメッセージ性を自分の人生にどう活かすか?です。

信仰とはそういうものです。