神について | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
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異教の神について

宗教の教義において異教の神の取り扱いは常に頭を悩ます。

特に一神教では
「万物を神が創造した」
となると異教の神も悪魔も神が創造したことになります。

そのことにおける解釈は近年まで

1 それは異教を信じる方の頭のみで考えだされ、本来の神とは一切関係ない創造上のもの。
(ドラゴンやフェニックスを崇めているのに近いという解釈)

2 それは神を称するものであって、仮に人間以上の力を持っていても神にはなりきれない者たち。
(多神教や精霊に対する解釈がこうなってるかと思います。)

しかし、ほんのごく最近になって、第三の解釈が生まれたのです。

3 神に近づき、神を知る為に異教の神の形をしている。

という考えです。

「神は一であり、複数である。」

という考えで、

「神の絶対性と、自宗教の絶対性とは別物である。」

との考えが浸透してきているのです。

これは二回の世界大戦を経験しても、カトリックとプロテスタント、東方正教会、スンニ派とシーア派はいまなおそのまま存在していることと関係が深いのでは?
と考えます。

「他宗教に寛容であれ」

が神の意思とするのが自然な流れだと思います。

そして特筆すべきは

「自宗教の絶対性」

で必ずしも「他宗教の絶対性」に言及していないことです。

「神と宗教も別物」

「宗教と哲学も別物」

「信仰と宗教も別物」