数々の哲学記事や、創作小説で独自の意見を述べてきましたが、「学義論」に続いて、過去の哲学者の言葉ではなく、私の哲学を述べる場を設けさせていただきました。
本当はもう少しノートに書き溜めたものがまとまってからでも良かったのですが、ブロ友さんからの「タゴン神」についてのコメントから神を考察するきっかけをいただき、今回第一回目を書かせていただきます。
このカテゴリーはかなり不定期になります。
また、名言、箴言を一言書いて終わりの時もあります。
私が書いた言葉が絶対ではありませんし、賛同してくださって皆様の人生が豊かになれば嬉しいですし、否定することで豊かになればそれもまた嬉しいです。
そして何よりも私自身が未来で自分の書いたことを否定する可能性も十分にあります。
で、本当はカッコよく○○哲学とか名付けたかったのですが、名付ければその枠を越えれないと思い、私の哲学だから「私の哲学」と名付けました。
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はい、まずはタゴン神を調べると、「海の神」とされて半魚人(神)の醜い姿をして、たくさんの悪魔の「祖先」としてユダヤ教でも、キリスト教でも伝承されています。
しかし、近年の研究では「農耕の神」だったそうです。
ペリシテ人がヤハウェ(神)の箱を奪い取った時にタゴン神像が砕け散り、その時に両腕が砕け散り魚のような像になったことが由来だそうです。
私は今まで一神教=唯一神教と何回も記述してきましたが、唯一神教は「世界に唯一の神」しか認めないことで、一神教はほかにも、「拝一神教」というのがあり、「複数の神が居るのを認めるが、その中の一つのみを信仰する」ものです。検索すれば拝一神教に「古代イスラエルの宗教」とありましたので、ペリシテ人とタゴン神の関係がこれに当たると思います。
大陸での多民族が暮らしてたことを考えると、タゴン神がペリシテ人以外にも「農耕の神」であった可能性が高いですし、ユダヤ人がペリシテ人に勝てなかったのは「農耕民族の土地の執着」かもしれませんね。
遊牧のユダヤ人はカナンの地が大切なのは知ってても、心のどこかで「また別の場所で次の機会に~」な流浪の気持ちが兵の士気に影響したのでは?と考えます。
弓矢なども獣への狩猟よりも、土地の奪い合いで「対人間用」の方が遥かに殺傷力が進化したそうですね。
各宗教ではやはり他宗教の「神」の解釈が古今東西つねに問題になるそうですね。
続きはまたに。