真実と事実は違います。
交通違反を取り締まる警察官は事実に基づいて行動します。
個別の心情で罪が変化することはありません。
状況証拠や物的証拠は事実であり、真実を決定付けるものではありません。
では真実とは?
英語で事実はファクト、真実はトゥルー。
虚偽のフォースに対しての対義語が真実のトゥルーです。
しかし、世の中とは、全てが二律背反して、真偽に分けられるほど単純ではありません。
白黒の問題ではありません。
灰色は白よりも黒く、黒よりも白いのです。
賛成と反対が全てではありません。
積極的賛成の対極は積極的反対でしょうが、消極的賛成と消極的反対もいます。
ある案件に対して、消極的賛成者が積極的賛成者の理念には賛同するも、手法には賛同できず、結果的に反対の立場を取ることは良くあることです。
この場合、「手法に賛同出来ない」が真実で、結果的に反対したのが事実になります。
ネットや携帯電話が発達し、一個人が個別の心情を訴えやすくなった時代です。
私達の意見は統計の総和ではありません。
個別の賛成があり、個別の反対があります。
権力者に苦しめられている人をクローズアップすることは、間違いなく真実の報道でしょう。事実の一部分でしかないのも事実です。
人は他人の頭の中に入れません。
他人は自分の脳に直接語ることは出来ません。
だからこそ、共通の言葉で共通の法を守る必要がありますが、それは絶対でもなく、万能でもなく、一人一人の良識に支えられているのです。
私は思い上がった人間や、世の中を解りきった態度の人間を見るたびに、そして自分の限界にぶつかるたびに繰り返す言葉があります。
「魚は海を認識しない」
です。
私達は決して枠組みの外から「他人事」「傍観者」として完璧に平等な、万人に共通に当てはまる言葉を述べることは出来ないのです。
今日は思うがままに書きました。
総論は後日。