私が勝手に造った
「学義(がくぎ)」
と言う言葉で、勝手な論理を展開させていただきます。
そもそもの目的は、私自身の知識と見聞の向上と、絶え間無い自己生成の為です。
多種多様な意見をお待ちしております。
私の愛読書
「武士道」(新渡戸稲造)
には「論語」を独自に解釈するイエス・キリストの言葉が述べられています。
勿論、イエスが論語の存在を知っていたかは謎ですが、イエスは決して神との対話のみを重視せず、実生活、現実社会に則した言動、行動を残しています。
その孟子の言葉に
「仁は安宅、義はその正路」
あります。
キリストの言葉はさらにそれを昇華させ、
「義とはそれを見失った人が取り戻す為の道そのものである。」
との言葉を残しています。
つまり、
「人の優しさとは、円満な家庭そのもので、自分の心の中に理想的な安らぎのある『家』を持ち、他者と接しなさい。
それが『仁』の心です。
『義』とはそれぞれが持つ『家』への『帰り道』なのです。
人が愛と優しさから離れた時に、原点へ戻るその正当性が『義』であり、既存の『法』への固執と遵守が『正義』なのではありません。
すべては『仁』への道のりなのです。」
ってことをイエス・キリストは伝えたかったと思います。
私がこのシリーズを「学義論」と名付けたのは、「学ぶことの正当性」を訴える為です。
哲学は「知恵を愛する学問」と言う意味です。
哲学史を学ぶことでも、哲学そのものを定義することでもありません。
先人の知恵を再認識し、今現在の自分自身を人生に対してぶつけることです。
特に日本人が戦後避けてきた、神、宗教、歴史、そして「死」について、独自の見解を述べていきたいです。
お付き合いお願いします。