学義論 序論 (訂正あり) | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

私が勝手に造った

「学義(がくぎ)」

と言う言葉で、勝手な論理を展開させていただきます。

そもそもの目的は、私自身の知識と見聞の向上と、絶え間無い自己生成の為です。

多種多様な意見をお待ちしております。


私の愛読書

「武士道」(新渡戸稲造)

には「論語」を独自に解釈するイエス・キリストの言葉が述べられています。

勿論、イエスが論語の存在を知っていたかは謎ですが、イエスは決して神との対話のみを重視せず、実生活、現実社会に則した言動、行動を残しています。

その孟子の言葉に

「仁は安宅、義はその正路」

あります。

キリストの言葉はさらにそれを昇華させ、

「義とはそれを見失った人が取り戻す為の道そのものである。」
との言葉を残しています。

つまり、
「人の優しさとは、円満な家庭そのもので、自分の心の中に理想的な安らぎのある『家』を持ち、他者と接しなさい。
それが『仁』の心です。

『義』とはそれぞれが持つ『家』への『帰り道』なのです。
人が愛と優しさから離れた時に、原点へ戻るその正当性が『義』であり、既存の『法』への固執と遵守が『正義』なのではありません。

すべては『仁』への道のりなのです。」
ってことをイエス・キリストは伝えたかったと思います。

私がこのシリーズを「学義論」と名付けたのは、「学ぶことの正当性」を訴える為です。


哲学は「知恵を愛する学問」と言う意味です。

哲学史を学ぶことでも、哲学そのものを定義することでもありません。

先人の知恵を再認識し、今現在の自分自身を人生に対してぶつけることです。


特に日本人が戦後避けてきた、神、宗教、歴史、そして「死」について、独自の見解を述べていきたいです。

お付き合いお願いします。