ドイツの哲学者 カール・ヤスパースの著書「哲学」を読んでいます。
精神科医から哲学者になった彼は、哲学をかなり客観的に捉えています。
「世界はそれみずからについては何も知らない。世界はとらえられない。けだし世界は非人格的に私にあい対し、部分的には説明されうるが全体としてはけっして了解されないものだからである。」
byヤスパース 「哲学」より。
注目すべきは二点。
「世界はみずからを知らない。」
「世界は非人格的に私にあい対する」
です。
そう、「世界」は「世界自身」のことを何も知らない。ただ私達が部分的に関わった所に意味を持たせているだけなのです。
大自然は天変地異は起こすでしょう、動物は不可解な行動を取るでしょう。
人類は未知の領域に踏み入れるでしょう。
私達はそれらに対して部分的に触れるのみで、部分的な意味を与えることは出来るでしょう。
しかし、決して全ての法則を理解して、それらの
「現象を起こしている側」
からの意見を述べることは不可能なのです。
「人は一人分の真実しか持ち合わせていない。」
と言ったアリストテレスの言葉の通りです。
また、ヤスパースはこの世界が引き起こす一連の現象を
「非人格的に」
と述べています。
天罰や天誅や大自然の怒りだとかは遭遇した人間が意味を持たして擬人化しているだけで、引き起こされた現象及び、それらの法則に「人格はない」
と言うことです。
人間とは?
死とは?
神とは?
世界とは?
そして最も重要な「自分とは?」
哲学者は3000年を掛けて闘い続けています。
ただし、貴重な時間を「哲学とは?」に費やしたのです。
答えのないことに挑戦することですが、答えを持っていなければ生きられないのが人間と動物の違いです。
私達の挑戦は続きます。
追記 兵庫県尼崎市の「塚口教会」
で来月10月からキルケゴールの生誕200年を記念を記念して、関西学院大学の文学博士がキルケゴールに関する講演会を月二回ペースでするそうです。
仕事の日程を調整して参加したいと思います。
皆様も興味ありましたら「塚口教会」で検索してみて下さい。