「健康とは弁証法的だ。」
とのキルケゴールの言葉を引用するのはこれで三回目だと思います。
そう、健康とは客観的な反証によって、
「健康でない。」
を認識することによって
「健康である。」
の外観を捉えているだけかもしれませんね。
人間にはリンパ節から常に抗がん物質が分泌され続け、
「常日頃、癌にならないようにしている。」
のです。
人体は天然の抗がん剤にバリアコーティングされているのです。
それが何らかの要因でそのバリアに穴が空くとそこから癌になるそうです。
つまり何故癌になるのか?ではなく、何故癌にならない仕組みになっているか?
が重要なんですね。
「健康とは矛盾を解消する力である。」
これもキルケゴールの言葉ですが、物事が順調に進んでいる時って本当に理由が無いのかも。
不摂生な生活をしても大丈夫だったり、勉強しなくても成功したり、努力しなくても勝利したり。
挫折や敗北で何かを失ってから初めて人は反省し、
「在る(有る)ことの有り難み」
を知ることが多い気がします。
「自転車は進んでいるから倒れない。」
に似ていると感じるのは私だけでしょうか?
そもそも丸い車輪が立つはずないのです(笑)。
それが進むことにより自転車はスタンド無しに直立するのです。
ペダルを踏めることが
「健康」
ならば車輪が回り続けていることの方が「矛盾」なのかもしれませんね。
それは心臓の拍動が一生停止しないのと同じで、一生動き続けている心臓が既に奇跡なのに日常それを認識しないのです!
だからこそ、
「勝つことによって負けることを知り、進むことによって退くことを知りなさい。」
との私の柔道の師匠が教えてくれた言葉が必要になるのではす。
現代社会は勝利者がルールと歴史を造る社会です。
だからこそ「倫理」
が必要になるのです。
倫理とは
「弱者の為に己の道徳を曲げること」
です。
勝利者は常に敗北せずに敗北者の気持ちになることが必要なのです。
日本古来の相撲は今現在も「ガッツポーズ」を禁止しています。
それは負けた相手の為です。
私が学んだころの柔道もそうでしたが、欧米の波に押され失われてしまいました。
法に規定されなくとも、倫理と道徳と歴史観で許し合える社会を望みます。