シンデレラに学ぶ強者が造る歴史 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

大好きなテレビ
「ホンマでっか」
で、
「シンデレラは女の子に夢を見させる為に男社会が造り上げた物語だ。」
と言っていました。
つまり、義母や義姉の苛められながらも耐え続ければ、いつかきっと王子様が迎えに来てくれる。
と思い込ませて女の子を家庭に押し込めるのに利用したのがシンデレラの物語だそうです。

所謂「シンデレラ願望」を植え付けることで独力で運命の向かい風を切り開くことが出来ない女性になってしまうというカラクリです。

番組内で触れられたのは一部ですが、私は大変納得いたしました。

そして私独自の見解では、このシンデレラの物語のもうひとつの鍵は

「王子様は下働きをしているシンデレラに恋をしていない。」
です。
「魔法にかかった日常とはほど遠いシンデレラ」
に王子様は恋をするのです。
そして魔法かかっている自分の方が真実の私と思ってしまうと言う、支配者階級にとって大変都合の良い物語が完成するのです。

ボーボワールのジェンダー論を読んでも半分も理解出来ないのですが、
「女性は抑圧されてきた。だからこれくらいをやり返して良い権利がある。」
ってのがフェミニズムで、男女間の性差を無くそうって考えがジェンダー論らしいです。
(誰か解説を求む!)
で、常に問題なのは
「失われたモノを取り戻す正義」
が成り立つかどうかなんですよね。

キルケゴールは
「弱者の強者への怨み」
=「ルサンチマン」
と言う言葉で表現していました。
それを引用したのがニーチェで、
「聖書の(ユダヤ含む)道徳は卑屈な従属を裏に隠した奴隷道徳だ」
とキルケゴールが使用したルサンチマンと言う言葉を引用してキリスト教を批判しました。

確かにキリスト教以上にユダヤ教は
「私達はこれだけ歴史上被害を受けてきた。だから私達『だけ』が神に救われる。」
が根底にあると思います。

だからこそニーチェの
「神は死んだ」
には
「特定の怨みを晴らす為に存在する神は死んだ」
の意味を含んでいるのかもしれません。
キルケゴールが唱えた「ルサンチマン」は特定の宗教を超越した個人の信仰を重視してたのかもしれません。

やり返す正義とやり返さない正義…。
私には答えが出せません。

そもそも苦しんだ分だけ救われるという発想から脱却しないと負の連鎖は止まないかもしれませんね。