儲ける為の副産物で、洗うのが目的だ。
そしてまた客が洗濯に出すから儲かる。」
とキルケゴールは上手いこと哲学を喩えています。
そう、いつの時代も哲学は「副産物」なんです。
メインではないのです。
中世の偉大なる教父哲学者アウグストゥヌスの時代から、哲学は教養科目で、主要教科ではありませんでした。
プラトンが古代ギリシャに創設したアカデミアでさえ、数学、体育、哲学を教えていました。
近代になりカントやへーゲルの時代になりようやく「哲学専門の教授」が誕生したのです。
ライプニッツは数学者でパスカルは物理学者でした。
現代でも倫理、道徳は副教科です。
そしてキルケゴールの言葉で注目すべきは
「また洗濯に出す」
です。
哲学を求める者ほど、哲学が必要となるのです。
哲学を必要と思わない人間は、毎日を食べて寝るだけの生活にしてしまいます。
人生の目的は生きることそのものです。
その中身を豊かに味付けするのが哲学です。
「哲学は人生の調味料で食材ではない。
学ばない金持ちは、無批判に生肉を賞賛する。」
by SPA-k
で、ここからが私とキルケゴールからの出題。
「○が幻想だと決めつける女。
□□のない全てを排除する男。
僕はこういう連中には身の毛もよだつ思いがする。」
by キルケゴール
○と□に当てはまる言葉を埋めて下さい。
解答は明日の夜に。

君は洗濯するほど汚れてないよ(笑)。