「道徳的原理のために剣を振るうのではなく、尊敬に基づいていない愛の為に剣を振るえ」
by キルケゴール
道徳とは本来、自分の為のルールです。
倫理とは弱き者の為にルールを曲げることです。
愛することは出来ても、愛する人を尊敬することは簡単ではありません。
愛が平等ならば、
「年長者は年下を尊敬できるか?」
「師は弟子を尊敬出来るか?」
と言う大きな壁に当たります。
王は民から愛され、尊敬されるでしょう。
愛されず、尊敬されないこともあるでしょう。
王は民を愛するでしょう。
しかし、王は民を尊敬するのでしょうか?
また、キルケゴールは同時に
「無気力に打ち勝つには、思慮、知恵、忍耐」
と述べています。
個人の力なんて、世界や大宇宙の中では小さな力です。
しかし、自身の思索は常に宇宙を内包するのです。
そしてその力は常に双方向であり、
「他人も同じ」
と言うことです。
人は大義の為に戦争を繰り返しますが、愛をお題目に戦争をしません。
それは愛する行為が戦争をする行為に結びつかないことを知っているからです。
古代日本人は神様達と「一緒に」暮らしてきました。
そこには双方向にリスペクトし合う社会が確かにありました。
そこには神、人、宗教、信仰が縦軸では無く、横ならびでした。
私達は「日常」を取り戻さなければならないのかもしれません。