「神を信じないことを誇りとしてきた者たちが、我が子の教育には最も敬虔な者たちをつかせた。
その様な教育を受けさせられた子が親になった時、乞食同然に教えを乞う立場となった。
これ即ち、信仰心の欠如である。」
デンマークの哲学者キルケゴールは1840年代の著書でこの様に述べています。
教育は何も神学だけではありません。
「神を信じないこと」を
「勉強して来なかったこと。」
に置き換えてみたら、事態の重大さが容易にわかるでしょう。
「学校の勉強は役に立たなかった。」
と言ってきた親に限って、我が子には十分に確かめることなく、評判とブランドだけで最高の教育をつけた気になる。
そんな教育をされた子は、親以上に信念の無い親になり、ただどのように教育をつけたら良いか見境なく、聞きまくるしか手段が無くなってしまうのです。
大切なのは、勉強しろとか、信仰心を持て、とかではありません。
眼前に広がる社会を横軸に、生きてきた自分の歴史を縦軸に取り、
「自分の居場所を知れ。」
と私は訴えたいです。
また、信仰心は何も神ばかりを対象としていません。
信仰心を持つことで、己に驕る(おごる)ことなく、謙虚な気持ちで毎日を過ごすことに役立ちます。
キルケゴールはまた、
「退屈から結婚を選択するなら、看護婦に自分の世話をさせろ。
独身者の幸せは未来の財産の先取りだ。」
と述べてます。
1840年代にキルケゴールが鳴らしていた警鐘が、現在の日本人に多く当てはまるのが嘆かわしいです。
今夜はこれくらいで。
おやすみなさいませ。