この言葉も、キルケゴールの中でかなり上位に入る好きな言葉です。
「恋という物が、完全に片側の奉仕ならば、自信無き者は先制攻撃するが良い。
相手からの愛あればこそ、初めて恋に落ちることが出来るのだ。
その愛さえも疑うなら、金と権力、睡眠薬さえ利用するが良い。」
by キルケゴール
そう、私達は最初に対象者の「人間愛=博愛」に恋をするのです。
全く接点の無い人を好きになりません。
「片想い」と思ってる貴方もどこかで意中の人に愛されているのです。
ただそれは「人間愛」で、相手側は「貴方に恋はしていない。」だけなのです。
交際が始まる前の男女の関係を「友達」と表現しますが、(もしくはお友達か?)それは成熟された「友情」とは別物であろう。
男女の友情は成立するか否かは、有史以来のテーマだが、身近な単語を引用すると「親友」と呼べるか?にかかってくると思います。
太宰の言葉なら
「男女間の義侠心」ですね。
まぁ、とにかく友達の関係が恋人の関係に劣るとは思いません。そこには必ず人間愛があるのですから。
で、「愛されていない」って思い込みが悲劇を招くと1840年代にキルケゴールは警鐘を鳴らしてたんですね~。
「相手の愛を疑う」
確かに、相手に対して「自分と同じ様に恋をしていて欲しい」
って望むことこそ悲劇ですよね。
そして最早、恋とも愛とも呼べぬ手段でただ相手のみを手中に収めようとする…。
金と権力と睡眠薬で…。
はい、1840年代にストーカーって言葉は無かったと思います。
しかし、昔から人間って変わらないんだなって思いました(笑)。
「『愛し合う』とはお互いが別々に『片想い』をしている状態を言う」
by キルケゴール
全ての恋愛がかくあることを願います。
人間愛、博愛、世界平和の愛は貴方のすぐ側にあります。
色恋沙汰の恋愛ゲームに興じるよりも、ほんの一瞬、大切な人の幸せを願って祈りましょう。
貴方は愛されています。
「神様を知らずに生まれて来たのに、愛しかたを教わった憶えはない。」
by アウグストゥヌス