blog友達の海津さんとの会話内で、「漱石は西洋文学の哲学性、道徳性の低さを述べている。」
との私の発言を更に展開したいと思います。
西洋の歴史は「知的占有」の文化なんだと思いました。
西洋では何かとシェークスピアやゲーテを賞賛しますが、裏返すとそれ以上の道徳を訴えた作品が無いってことかも。
専制君主が道徳さえも独り占めしていたことが、日本と西洋の大きな違いです。
西洋では「さあこれが哲学だ!どうだこれが道徳だ。」
と賞賛する傾向がありますが、武士道を魂に持つ日本人には、
「道徳を誇らないことが誇り」
と言う考えが下地にあります。
前置きが長くなりましたが、12月14日は忠臣蔵の討ち入りの日です。
また、この日は
「ブッシュ前大統領がイラクで記者から靴を投げられた日」
です(笑)。
もう四年前の話ですが、私はいつも
「あれが士魂ある日本人なら、投げられた靴を微動だにせずに敢えて額に喰らってやっただろうにな」
と思います。
政治的発言は避けたいですが、ブッシュは靴をかわしました。
それが合理的な選択だからです。
競争社会と勝利至上主義では
「相手の為に負けてあげる」
精神は皆無でしょう。
しかし、あの時ブッシュが靴をよけなかったら、イラク人記者も、大統領自身も双方に賞賛となり、器の大きさを示せたと思います。
まぁ、爆発物の可能性も無いとは言えませんから、それがベストとは言いませんが。
忠臣蔵には、松の廊下で切りかかる浅野を止めた男のサイドストーリーがあるそうですね。
梶川某は内密に上役から
「何故、浅野殿の思いを果たせてやらなかった?」
と、切りかかる浅野を止めないことが武士の情けだと諭され、苦悩する姿を描いた歌舞伎があったそうです。
討ち入りは一度失敗すると次は無く、確実に吉良が屋敷に居る日を狙う必要がありました。
仇討ちに失敗して、浪士に死罪だけが確定したら「犬死に、死に恥」です。
そこには高度な情報戦略がありました。
戦後、欧米の価値観の押し付けで、「生き恥=切腹、ハラキリ」の図式が教え込まれましたが、古来より日本人にはちゃんと「死に恥、犬死に」の文化がありました。
更に申し上げるなら、戦後、進駐軍は日本国内を言論統制で「忠臣蔵関連の書物、上演の禁止」
をしています。
仇討ちを恐れた連合国の仕業です。
その後マッカーサーの副官の努力で1947年に忠臣蔵は復活したのです。
今こそ…武士道でしょ