以下は2012年7月3日の再掲載です。
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モンテスキューは統治体制には三種類あると述べます。
1 共和制(市民から代表を選ぶ)
2 君主制(王と市民の間に貴族、聖職者等の中間階層を置き、王の専横を牽制する)
3 専制政治制(独裁政治)
そしてモンテスキューは1ではなく、2を主張し、貴族の必要性を訴えたのです。
これが後年の研究者達によるモンテスキューの評価を下げる原因の一部となるのですが、当時のフランス王制がどれだけひどかったかを考慮すると、王から貴族及び聖職者に少しでも、権限譲渡させることで国家が良くなると考えていたんでしょうね。
実際にフランス革命が起こるのは「法の精神」出版から41年後、モンテスキュー死後からは34年も後ですから想定外のことが起こって当然でしょうね。
例え、共和制でも後に議会による専横が市民を圧迫する時代が来ますから国を統治するには本当に「資質」が問われます。
そしてモンテスキューは上記1~3の統治体制に欠けてはいけないものを挙げてます。
1 共和制には「徳」
2 君主制には「名誉」
3 専制政治には「恐怖」
と訴えてます。
「独裁は恐怖なしになりえない」
は異論の余地があり、アリストテレスの様に「王に叡知」と主張してたほど牧歌的ではないんですよねぇ…。
しかし、わたくしが唯一モンテスキューを評価するのは1の
「市民の代表は徳を欠いてはならない」
です。
私利私欲で議会に出るのではなく、他者及び隣人の為の徳を説いてるモンテスキューは非常に賞賛します。
今の日本にこそ、道徳及び倫理による統治体制をわたくしは強く訴えたいです。
市場原理主義がまかり通り、貨幣の力でしか弱者を救済しようとせず、そこにこそ利権が生まれる官僚主義、大企業主義の中にこそ道徳と倫理を訴えたいです。
そして不可解なのが2なんです。
権限譲渡した君主と中間階層の権限を持つ貴族及び聖職者は「名誉」を欠いてはならないって…。
参考にしたイギリス王室と貴族議院にどれだけ憧れるねん!って思ったわたくしです。
きっと無条件市民に愛されるイギリス王室がよっぽど羨ましかったんだろうな。
「法の精神」文字どおり、その軸となるのは精神そのもので、
「完璧な規則でガンジガラメにすることが理想でなく、結局は個人の徳、名誉に依存する」
ってのは凄い納得です。
「法」よりも「人」を見てたモンテスキューの人間らしさが少し好きです。