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教科書にはロックとルソーと必ずセットで出てくる

モンテスキュー(1689-1755)です。
しかし、彼は教科書には出てきても哲学史には出てきません。
その理由
1 ボルドー高等法院の副院長と言う官職に37才まで就いてたこと。ライプニッツも国の役職を歴任しましたが、彼の場合は当時後進のドイツ出身に依るところが大きいので哲学者と見られますが、フランスで官職に就いてたモンテスキューは中々、哲学者の仲間入りして哲学史に登場しません。
2 多いなる誤解による功績
モンテスキューが1748年に出版した「法の精神」は三権分立を訴え、その思想はフランス革命の原動力となりました。
ってのが世界史の範囲です。
しかし、実際にはイギリスの影響を受けており、司法が王室に対して独立した権限を持つイギリスの政治体制を絶賛したのです。
その中でフランスの絶対王制を批判するのですが、そもそも三権分立とは
「如何に王権から権力を引き剥がすか?」
が柱としてあるのです。
権力が分立することで互いの均衡と抑制が働くのは事実です。
しかし実の所、奪い取った権力を王権に「奪い返されない為に分散させた。一方が王権の報復を受けても残り二つが残る様に。」
と考える方が自然かと思います。
モンテスキューには三権分立が
「叶った後の世界」
がどれだけ描けてたのが疑問です。
実際にフランス革命は出版から41年も先の話ですけどね。
そして私は独断で
3 江戸時代の日本を誤解したから
を入れたいです。
「法の精神」の中での江戸幕府は
1 専制政治の見本
2 死を軽視して気まぐれでに腹を切る民族
3 皇帝(将軍)は道を踏み外した趣味(衆道=同性愛)に夢中4 若き娘は大奥で妬みからイジメ殺される
と教科書にも出てくる有名な本「法の精神」は「武士道」の欠片も知らない人間が日本を誤解しまくって勝手に書かれてる本なのです!
あ~きっと当時の西洋人は切腹は、
「権力者によって死なされる」って思ってるんでしょうね。
真の忠義の為に高潔な精神で死を選ぶなんて想像もつかないでしょね。
当時の武士の真の主君は「忠義そのもの」で将軍さえも「忠義の下に仕える者」なんてわかりもしないだろうね。
しっかりしてや、モンテスキューさん。