
のダライラマ少年が言ったこの言葉
「西洋の人は競争に勝つことを人生の目的としてますが、私達は自我を捨てることを目的としています。」
ほど的確な表現は無いと思う。
自分も自我を捨てることだけに人生を費やしたいものです。
そしてここからは私見ですが、思うに厳格で永遠たる絶対者への信仰は
「陸上競技や水泳の記録会」
状況によって違う神を信仰する多神教は「対戦相手によって戦術を変える球技や格闘技」
って勝手な解釈をしてみました。
信仰の基本は
「人間は完璧ではない」
だと私は思います。
だからこそ記録更新に勤しみ、自分との孤独な闘いが唯一神教で、
人間同士の縁や相性の中での巡り合わせで勝者が左右されるのが多神教では?
と感覚的に捉えました。
キリスト教の評価できる所は自殺の禁止で、評価しないのは生まれ変わりを認めてないことですね。