「何故、生きていなければいけないのか?私にはそれがわからないのです。」
文豪太宰治のこの言葉には特別な重みを感じます。
この言葉を聞き、わたくし自身も同じ悩みを味わい、苦しんでしまいました(笑)。
生まれた理由がわからないままに、死を理解出来ずに一生を終える。
そのこと以上に「生きていなければいけない理由」の方がもっと重要なのでは?と思い、この問いかけに対する答えは深まるばかりでした。
しかし、私なりの答えはけっこう簡単に出てきたのです。
「その悩み、苦しみも生きている証拠」
です。
私が壁に当たった時によく使用するのが
「魚は海を認識しない」
です。
海を泳ぐ魚は海そのものを認識しないままに一生を終える。
わたくし達も同様に自分の生命を理解出来ないままに一生を終えるのだなと最近特に意識するようになりました。
ニュースで見る死、隣人の死、近親者の死。
それらが教えてくれる数々の大切なメッセージも全ては
「自分が生きているからこそ」
なんだなと当然のことを再認識しました。
そして自分の死と他者の死が決定的に違うことです。
「他者の死は自分がどう死ぬかのメッセージにはならない。
自分がどう生きるかのメッセージにはなるかもしれないが。」
by SPA-k
って言っても言うまでもない当たり前のことですね(笑)。
太宰は「人間失格」の主人公のセリフの中で
「私はお腹が空いたと言う感覚を経験したことがない。」
と言う驚くべき言葉を残しています!
死に魅入られそうになる私を支えたのは間違いなく空腹でした(笑)。
この時点で彼は間違いなく「人間失格」
だったかもしれませんね。