「空気読めよ」
「上から目線」
「その場のノリで」
わたくしの嫌いな3つの言葉です。
何故嫌いか?
それはそもそも、こんな大それた言葉を言うか言われるかしたら私には血闘しか残ってないからです(笑)。
確か太田光も同じ様なこと言ってたが
「空気読んでもらって嬉しいか?」
です。
元来、言葉と行動には責任が伴い、大人として、社会人としてベストな選択をしているはずである。
他者が空気を読まないならば、その結果が「現在の空気」だ。
他者をいさめて「変えてもらう」ことを願い出るなど大人同士の会話でないと私は考える。
「上から目線」「その場のノリ」
も同様だ。
私は常々こう思う。
「それが貴方のファイナルアンサーなのですね。」
と。
上記3つは幼少よりの教育で出来てて当然のことですから。
「空気を読んだ結果」「上から目線で無くて当然の言動と認識した上で」
これを他者から注意されたら血闘しかありません(笑)。
やはり戦後の平等教育がおかしいのでしょうか?
軍隊と体罰を排斥した弊害に思えてなりません。
もう一度言います。上記3つの言葉を言わない、言われない社会が普通なのです。
人が人を傷つけず、攻撃的でない社会は理想でしょう。
しかし、私達は他者の攻撃に対して何と、無力なのでしょうか?
平和な社会、助け合う社会、優しい社会。
それは何と、理想でしょうか?
しかし、理不尽な攻撃に対して私達は強い自分を持つべきだと思います。
大切なのは誇りです。
格好つけのプライドとは違います。
自分が自分である為に、自分に課す法律 「矜持(きょうじ)」とでも言いましょうか?
真に誇りある人間は、「決して抜かない刀」を携えている者です。
自己を律する事が出来ない大人が溢れる世の中に、平和も平等も無いでしょう。