始皇帝と法、儒教、道徳 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

古代中国では、法家、儒家、道家と呼ばれ、法律、儒教、道徳は全て横ならびの「学問」でした。

これは非常に興味深いことで、宗教と法律の間に優越性が無く、道徳も学問の一部分でしか無かったのに驚きです。

そして秦の始皇帝が実権を握った時に、「自らの支配権が及びやすいから」との理由で法家を採用したのです。

現代でこそ「法治国家」と呼ばれ、国が宗教や道徳で支配されることはありません。
しかし、始皇帝のほんの僅かな裁量次第で世の中が変わっていたかも知れないと言う歴史の「もしも」を考えると…ロマンですね。

そして道徳家の孟子は別に猛々しい(たけだけしい)発言をしたのでは無く、あまりに民衆よりな公衆道徳が、時の権力者に嫌われたから「孟子」と呼ばれたそうです。

これが中世ヨーロッパになると完全なキリスト教統治です。教会の権力は王に勝ってました。

革命後はルソーの「法の精神」によって法治国家が成立しましたが、もしも西洋に倫理による統治がもっと進んでいたとしたら…?
近代の戦争は回避出来たかと考えます。

キルケゴールは「ソクラテスはあまりに倫理家でありすぎた。」
との言葉を残しています。
その言葉から今回の記事を書かせていただきました。
皆様はどう思われますか?