罪と法と信仰心 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

キルケゴール曰く、
信仰心による罪は積極的な罪。
思想、弁論からなる罪は消極的な罪。

と説いてます。
後者は「人々の申し合わせで作った規定=法」と解釈しました。

消極的な罪とは決まりを破ると言う罰則、マイナス因子から発生する罪なのです。

では前者の積極的な罪とは?

それは「神への畏敬」なのです。

キルケゴールは言います。
「罪を知ることは出来ない。」と。

ここでソクラテスの登場です。

ソクラテスが最大の知恵者なのは
「神の畏敬によって、自らの知恵などはまだまだ及ばない。
私はまだまだ何も知らない。そのことは自認している。」
からなのです。

わたくしなりの解釈では、
「神の前では自分やその他の人間なんて、ちっぽけな物。
自らをへりくだった、謙虚な姿勢を忘れないことが即ち『積極的な罪』と考えます。