キルケゴール曰く、
信仰心による罪は積極的な罪。
思想、弁論からなる罪は消極的な罪。
と説いてます。
後者は「人々の申し合わせで作った規定=法」と解釈しました。
消極的な罪とは決まりを破ると言う罰則、マイナス因子から発生する罪なのです。
では前者の積極的な罪とは?
それは「神への畏敬」なのです。
キルケゴールは言います。
「罪を知ることは出来ない。」と。
ここでソクラテスの登場です。
ソクラテスが最大の知恵者なのは
「神の畏敬によって、自らの知恵などはまだまだ及ばない。
私はまだまだ何も知らない。そのことは自認している。」
からなのです。
わたくしなりの解釈では、
「神の前では自分やその他の人間なんて、ちっぽけな物。
自らをへりくだった、謙虚な姿勢を忘れないことが即ち『積極的な罪』と考えます。