2400年前のオーケストラ~学者と作家とプログラム | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

「知識と言うのはオーケストラに行って、高々1ドラクマも出せば時折買える物だ。」

「ソクラテスの弁明」の一節です。

この原書の意味は諸説あります。
が、今回はわたくしの仮説を述べたいと思います。

オーケストラとは
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こんなイメージをお持ちでしょう。
しかし、2400年前のギリシャのオーケストラは、「本屋」と言う意味がありました。
またオーケストラは「劇場」と意味もあります。

よって1ドラクマは本の代価と言う仮説と、劇場の入場料と言う仮説があるのです。

わたくしはこの両方の仮説を混ぜた仮説を唱えます。

そもそも当時の劇場は無料だったのでは?
そして演目は作家が書いた、ただの喜劇や悲劇ではありませんでした。
哲学、科学、物理学的発見を、合唱団や役者のセリフに合わせて発表してたそうなのです。

極端な例を挙げれば、ミュージカル仕立てに演者は、
「つまり~円周率は~π(パイ)なの~で~す。」
と歌に乗せて説明してたのです。

そして演目を説明するパンフレットは興味を持った人のみが買う「教科書」だったと考えます。

役者は演じて、作家は書き、学者は考えます。
それがオーケストラのパンフレットで賄れてたのでは?

パンフレット=プログラムと言うのがどうしても「設計図」と言うイメージがあります。
演目内容を設計図と言うには違和感があります。
しかし、「教科書」なら納得できます。
ソクラテスは広場での対話を重視したことからも劇場は無料と思いたいです。

そしてプログラムに興味を持った者は弟子になったと思いたいです。

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こんな弟子なら大歓迎?