法律は二番目 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

プラトンは哲学者による国家統治を理想としてました。


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こんな風に、国家を一人の理想的な人間像と重ねました。

「王に知恵
兵士に勇気
国民に節制」

はこのblogでも何回か出てきてます。

しかしソフィーの世界からのプラトンは更に一歩踏みこんで
「法律は二番目に理想的な国家」

法治国家で当然の様に生きている私には衝撃でした。

きっとプラトンは
「法律の不完全性」を早くから理解してたのかも。

法律ってきっと
「申し合わせや妥協」
が入ってて、万人が同じ理想と理性を志したユートピアには到底かなわないと
大昔のプラトンは考えたんじゃないかな?

裁判、憲法、規則、マニュアルを振りかざしても、

それは「大いなる妥協」でしかない。

って考えると…。
万人が哲学と理想を持つ国家であってほしいと思います。

裁判や憲法をあまりに無批判に信じてませんか?
それはただの「システム」であって万能ではありませんからね。

「法律とは不完全な人間同士の妥協点」

だから必要だし、時に不必要かと思います。
今回はこれくらいで

追記 ケーキ屋さんは同じクッキーの型を使うから同じクッキーを焼けるのです。
でも食卓や店頭に並べられたクッキーを見て、型を思う人はいません